このエントリでは、この二つの区別がつかない理由として、リーダーが1)現実を変えた後に大衆の意識が変わるから、2)リーダーが究極目標を公表しないからという理由について書いていこうと思います。
リーダーが現実を変えた後に大衆の意識が変わる
リーダーが現実を変えた後に大衆の意識が変わるという例は、「市民が望んでないことを実現するリーダーが必要現在のヨーロッパの強みはEUという共同体の調和だと理解されています。しかしフランスでは30年にわたり2回も殺し合ったドイツと和解するのは、大衆の望みを越えるリーダーの決断が必要でした。「ヨーロッパの父」と呼ばれる二人のフランス人、ジャン・モネとロベール・シューマン外相は、欧州統合の基本は仏独和解にあると信じて疑わなかったそうです。そのために、協力と連帯の実績を一つ一つ積み上げていくしかないと考えて小さなことから実行に移していきました。
この二つの大転換で起こったことの順を整理すると、リーダーの発想→行動(現実が変わる)→人々の精神が変わる、となります。大転換では人々の意識が変わる前に現実を変える必要があることもあるのです。
新規路線派のリーダーが究極目標を公表できない訳
さらに悪いことに、こういった大転換では、リーダーは目指す世界を事前に公表することはできないのです。幕末の例では、列強から日本を防衛するにあたって「開国して異国の軍事技術をもって日本防衛」という青写真を事前に公表することは出来ません。当時は、「異人は即日本刀をもって切り捨てる」という攘夷が大勢を占めていたからです。「開国し~」などと口走ったところで、「売国奴、スパイ、馬鹿、弱腰、優柔不断」などとあらん限りの侮辱言葉を投げつけられてメッタ斬りにされるでしょう。新規路線派のリーダーは「開国して異国の軍事技術をもって日本防衛」と言ったような究極の目標を口にできない瞬間があるのです。実際の歴史では、攘夷というイデオロギーを高揚させ、倒幕後開国という行動をもって事後的に民衆の意識を変えていくことになりました。幕末のリーダーとして名高い坂本龍馬なども腹の中では開国を支持していても、あまり露骨に開国を主張していません。現在でも、何を考えているか分からない飄々とした龍馬の人物像が伝わっていますが、新規路線派のリーダーが究極目標を公表できないことを示しているように思われます。
独仏和解の例でも最初は「独仏和解による欧州の調和を基調とした繁栄」という青写真は大っぴらに公表できるものではありませんでした。独仏は近代に入ってから3度戦争しています。第二次世界大戦後は、両国に戦争で息子を失った者、敵軍に手足を吹っ飛ばされた者、戦争で心身を病んで人生を台無しにした者、戦争で全財産を破壊された者があふれていました。だれでも家族、親戚、友人にそういった状況に置かれたものがいました。フランスではドイツとの和解だけは有り得ない!というという雰囲気だったはずです。憎悪と怨恨のなかで、ドイツを徹底的に痛めつけるべきだという復讐の念が支配的だったでしょう。ドイツとの和解何てことを言い出す者がいれば、今までの犠牲は何のためだったのか!という無念から「売国奴、スパイ、馬鹿、弱腰、優柔不断」と政治的に抹殺、悪くすれば暗殺されるかもしれません。新規路線派のリーダーが究極目標を公表できないのです。
逆に、新規路線派のリーダーの究極目標が既存路線派に気づかれてしまうと、龍馬のように暗殺されたり、戦前に反戦を唱えた首相が軍部に暗殺されたりされてしまうようなことになります。こういう場合には、政治的目標達成のために目指す先を大衆には隠しておくという手段が正当化されます。
ペテン師と稀代のリーダーの違い
大転換においてリーダーは1)現実を変えた後に大衆の意識が変え、2)究極目標を公表しない、ということは民衆からすれば、大転換におけるリーダーの判断が正しいか正しくないかは判断することが出来ないと言えます。熟練のリーダーは政治的決断を専門とする仕事をしていて、片や有権者はそれ以外の仕事を専門にしていて、余った時間に政治的議論を行います。政治的決断を下すためにつかえる時間資源からしても、リーダーはおそらくほとんどの大衆よりも問題を深く分析した上で決断を下せます。「議論後に議論前の結論に至ることにも価値がある
大転換を行うリーダーは、2)究極目標を公表せず、1)現実を変えた後に大衆の意識を変えるという難題が突きつけられているのです。さらに、既存方針から考え変えない大衆からは「売国奴、スパイ、馬鹿、弱腰、優柔不断」と罵倒され、さらには「夢見がち、理想主義者、荒唐無稽」などと罵られることになります。日本では新規路線派は鳩山首相、フランスではセゴレーヌ・ロワイヤル氏、米国ではオバマ氏です。どちらも上のように批判されていることから、問題は同じところにあるように思います。誰がペテン師で誰が稀代のリーダーかは分かりません。今後の日本は、衰退する米国と台頭するアジア、結束する欧州という新事態に対処するために、いつかの時点で大転換を決定をする必要が生じます。そのとき、「売国奴、スパイ、馬鹿、弱腰、優柔不断、夢見がち、理想主義者、荒唐無稽」という言葉が出てきたら、少なくともペテン師と稀代のリーダーを区別する手段はないと謙虚な疑念を持ちながら見ていく必要があります。
9 comments:
Sophieさんの書く記事って以前と正反対の物になりましたね。
以前は、歴史背景などを踏まえながら、自分の意見を織り交ぜた記事だったように思います。
しかし、最近の記事からはそのような主張や意見が本当に少なくなったように思います。
これでは読者は、Sophieさんがどのような思想の元に記事を書いているのかが掴み難いです。
私は以前の記事の方が好きでした。
考えてみると、ホリエモンとの一悶着辺りからでしょうか。
「長いことかかって気づいたの。言い寄ってくる男の品定めをするには彼の言うことは無視して することだけを見ればいい。ただそれだけのことよ。」
「最後の授業」-ランディ・パウシュ-
つ http://ameblo.jp/tp2004/entry-10550721181.html
一般論としてのリーダーの定義づけは賛成なのですが、
>日本では新規路線派は鳩山首相
というところに論理の飛躍がありすぎる気がします。
当時はマスコミからも大反対されたが、結果的にはその判断は正しかったと評価された銀行に対する公的資金注入などの小泉政権の政策については当てはまるように思います。
鳩山政権は、単に甘言を振りまいて、結局はそれを実行するだけの政治力も決断力もなかったということでしょう。
国民に金を配る、高速道路は無料にする、米国と対等な関係を築く、などなど、大衆に目指すばら色の世界を「事前に」示したが、どれも中途半端なので反感を買っているということであって、目指す世界を事前に公表していないというリーダー像とは程遠いと思いますね。
鳩山さん辞任ですね?
名誉挽回の機会はもう失われたということで…。
ペテン師どころか、稀代のまぬけなんじゃ?
>Sophieさんの書く記事って以前と正反対の物になりましたね。
同感です。民主党政権に心酔していて鳩山首相を守ることが最優先になり、そのための屁理屈を並べることに夢中ですよね。
政府というのはよい政治をするために国民が信任を与えているものです。なのに、最近のSophieさんの意見は現政権を守ることが一番大事なのですね。麻生政権に関する日記も見ましたが、そちらは批判的であったのに鳩山内閣はこれだけボロボロでも何とか擁護しようと必死です。
残念なニュースですが、鳩山総理は辞意を表明しました。麻生政権には散々批判してきたけど、次の総理も民主党から「国民の信任を得ていない総理」を出すことでしょう。自分らが言ったように衆議院を解散して信を問うべきだと思うのですが。
>国民に金を配る、高速道路は無料にする、米国と対等な関係を築く
鳩山首相の頭の中はこれに尽きると思います。子供が政治家を見て「なんで政治家は悪いことをするのだろう?自分だったらいい政治をするのに」とよく夢を見ると思うけど、彼はあの年になってもその子供っぽい夢から覚めることがなかったのです。しかも不勉強だったからひどくやり方を間違えました。
小沢とか輿石みたいな真っ黒な人よりはよかったと思うけど、あまりに総理としての資質に欠けていたのが残念です。
現在まだ軍事力がアテにできない日本にとって国家間における日本のこれまでの実績における信頼、信用と言うものがどれほど大事か、そして、鳩山がそれをどれだけ壊したか言うのは、フランスやイギリスにいる限りわかんないんだろうな。
確かに国内にいると国内の視線しか見えません。
が、海外にいると海外の目線でしか見られなくなる。(それはつまり、日本の国益と言うよりは、その国の国益に基づいた視線です)
客観的な意見として取り入れるべきものもたくさんありますが、今回の政治に関するエントリだけはお花畑な理念を語っているようにしか見えません。
すごく面白かったです。
衆愚とはまさにその通りで、マスコミなどが煽れば国民の大部分の考え方は簡単に操れてしまいます。
ネットの普及により直接民主主義も可能になりました。「明日投票ボタンを押してください」で済むからです。しかし上にも書いたように、間接民主主義は積極的に採用されるべきですね。
シンプルかつ明快。
共感しました。
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