2010年2月16日

エリート主導型社会を支持する大衆のメンタリティ


Paris, France
フランスで将来リーダーになる運命を感じて成長する人たち このエントリーを含むはてなブックマーク」に書いたように、上位のグランゼコールに入学すると将来のリーダー候補になり、それ以外の人は、お気楽な人生を歩むことになります。必然的にその区別は厳格なものになります。これがフランスの憲法前文に定められたモットーである「自由、平等、友愛」と相反するのではないかという疑問もあると思います(フランス憲法前文に「本共和国のモットーは自由、平等、友愛である(La devise de la République est « Liberté, Égalité, Fraternité »)」と定められていま。)。

努力してもエリートと同じ道を歩めない大衆、共和国の定める平等の理念との対立など、どのように折り合いを付けているのか長い間疑問でしたが、エリート主導型社会は大衆に支持されて維持されていることがわかってきたので、紹介します。

平等を求めるフランス

まず、フランスの理想とは国民が平等であることです。憲法の前文の第一言目には「フランスとは〜」とフランスを定義するところから始まります。議論好きのフランス人が定義するだけあって、この2文はかなりの包括的にフランスを定義しています。本ブログのおすすめの書「[書評] 日本とフランス 二つの民主主義」では、憲法の第一言目に平等を謳っているフランスでは、平等自由に優越していると結論しています。例を挙げると、小学校で宗教的シンボルを身につける自由よりも、それを禁止して生徒を平等なフランス市民として教育することを選びます。また、経済では資本家がより自由に活動して経済的利益を上げることよりも、ストライキによる従業員の要求の方が重要視されます。資本家も従業員もどちらも市民であるという、市民の平等を求めているわけです。
Constitution de la République française
(フランス共和国憲法 前文第一条)

La France est une République indivisible, laïque, démocratique et sociale. Elle assure l’égalité devant la loi de tous les citoyens sans distinction d’origine, de race ou de religion.
フランスは、非宗教的、民主的、社会的な、分割し得ない共和国である。フランスは、生まれ、人種、宗教の区別なしに、すべての市民に対して法の下での平等を保障する。

エリート教育に対する批判

フランスで教育改革が話題になるときに、必ず槍玉に上げられるのはグランゼコールです。批判対象としては、卒業生の質に対する批判、教育内容に関する批判、入学試験に対する批判などいろいろあります。まず、エリート意識に対する批判です。
パリ郊外の暴動のこと - パリからはてな日記
グランゼコール出身じゃない人は、グランゼコールと聞いただけで、一様に、ガリ勉で偉そうでプライドが高くてと批判する。
また、批判精神の旺盛な(悪口の得意な)フランス人のこと、いろいろな言われようです。人工知能学会誌に投稿された「理科系の国フランス : INRIA滞在記(グローバル・アイ)」では以下のようにあります。
フランス人はおしなべて口が悪いので, たいていの場合「プレパが終わると勉強なんてしやしない」だとか,「将来マネージャになるのにマネジメントの勉強がなくて数学ばかりしている」だとか,卒業生までが一緒になって(自嘲も含めて)批判の大合唱となり,なかなか旗色が悪い.
いろいろな批判の中でも、一番大きな批判は、はやりエリートと庶民の格差に対する批判でしょう。エリートの養成に教育資源(予算、先生)をつぎ込めば、それ以外の教育の質が低下するのは、明白です。フランス人による記事「報道されないフランスの真実(1)」では以下のように書かれています。
フランスにおける教育制度の現状は ...(略)... 徹底的に競争主義を採用しているグランゼコール(高等専門教育機関)という<勝ち組>と、ボロい施設ばかりの(特に文系)大学という<負け組>という図式からなっています。
また、報道されないフランスの真実(2)では、フランス憲法の標語は嘘っぱちとすら述べられています。
少し大げさだが、15歳からちゃんと勉強しないと、負け組になるということである。こうした教育の実情を知れば、フランスの標語である「自由、平等、友愛」など大嘘であるようにしか思えない。
2007年のフランス大統領選挙で非グランゼコール出身のサルコジ氏が、グランゼコール出身のロワイヤル氏を破った事例も、この文脈の中で説明されるケースも有ります。

エリートは大衆の投資の上に成り立つ

それでは、ここまで批判を集めるグランゼコールの教育がなくならない理由はなんでしょうか?まず思いつく答えは、グランゼコールのエリートが権力を握るからグランゼコールのエリート教育が無くならないという理由です。内田樹の研究室: la nuit violente en Franceでも「「文化資本」と「家柄」によって構築された「強者たちのネットワーク」が権力、情報、財貨の占有を可能にしている」と言っています。

これは当たっているとは思いますが、一方で選挙でエリートが当選し、サルコジ氏以外の大統領もグランゼコール出身ばかりだという点を説明しにくいと思います。そもそも、フランス共和国は王侯貴族をギロチンで大量処刑にして誕生した国です。大衆によってエリートが不必要であるとみなされれば、現在ではギロチンは持ち出さないでしょうが、エリート達を社会的に抹殺するぐらいのことはやりかねません。エリート主導型社会の維持には大衆の支持が欠かせないのです。

大衆の支持を説明するには大衆の願いを知る必要があります。フランスにおいては大衆の願いとは「気ままに暮らしたい」というものではないでしょうか。ただし皆が気ままに暮らしてしまうと、フランス産業の国際的競争力は低下し、フランスが貧しくなってしまいます。ここで、気ままな大衆を強力に牽引するエリートが必要になってきます。フランスのエンジニアは社会的地位が高い このエントリーを含むはてなブックマークでは
  • フランスではリーダーが全てを決定し、庶民はリーダーの指示通りに働く
  • 日本ではフランスと比べると全員の能力が均一で、庶民が猛烈に働く
と書きましたが、同じ文脈で、新幹線と世界最速を競うフランス高速鉄道のTGVの設計思想は非常に示唆的です。TGVは先頭車両に動力が積まれ、それ以外の非動力車を牽引します(動力集中方式 - Wikipedia)。反対に新幹線は全ての車両が動力を持つことで、高速運行を可能にしているそうです(動力分散方式 - Wikipedia)。エリートに資源を集中させて気ままな大衆を牽引する方式と、全員が懸命に働く方式は採用されている国の形態を表しているようの思われるのです。

フランスの教育においてエリート養成により多くの資源を割くという選択が、大衆の願いによって選択されているのです。大衆はエリート養成に投資し、その投資利益として気ままな人生を享受することができます。この方式がフランスの平等の理念と矛盾しているかどうかは、終わらない議論なんだと思います。どんな社会でも人間が作る社会で理想と現実が一致することは稀なことだからです。

エントリと関連する補足
エリート教育が大衆の投資だとする観点からすれば、エリートが知識と知恵を大衆のために使わず、自身の栄達のためだけに使うことは許しがたいことです。これがノブレス・オブリージュ(貴族の義務)と呼ばれるものです(詳細は→[書評] エリートのつくり方―グランド・ゼコールの社会学)。

エントリと関連する感想
気ままに暮らしたいと思う大衆が、「自分が怠けたいから他国も怠けてくれないかな〜」と願い、作り出した論理の結晶が怠け者同盟の社会は人類の未来で述べた「エネルギー資源、人的資源、労働時間などの資源を投入して経済的利益を上げる競争を抑制して、節約した資源を本当に社会と個人を「幸福」にする要素に振り分ける社会」という論理です。個人的な願いを否定し難い人類普遍の論理へと高めるフランスはすごいなーと感じます(色んな意味で)。

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4 comments:

匿名 さんのコメント...

日本人が勤勉とか言うけど、ただの奴隷だよね。
誰だって、悠々自適な生活をしたいよね。

昔のフランス人はうんこを町に垂れ流してたとか言うけどさ、それって凄い事だよね。

だって、うんこをする時にはわざわざトイレまで行かなければいけないし、探す必要だってある。

だけど、どこでもうんこが出来れば、そんな必要はなくなっちゃう。これがフランス人の余裕の表れだね。

それに比べて、日本人は昔から一々トイレを設置してる。これじゃあ、時間のロスが生まれて当然。

それにフランスの人々は権力に屈しない。
少しでも不満があれば、暴力に訴え、自由を勝ち取る。

日本人は権力に屈指、今でも皇族が存在している。

日本人が勤勉なんて、嘘。
みんな早く怠け者になろう。

怠け者は蔑称じゃない。
怠け者のフランス人。
これは名誉ある呼び名なのに、みんな気づかない。

日本人は鎖につながれたままの方が好きなマゾ民族なのか??

さんのコメント...
このコメントは投稿者によって削除されました。
匿名 さんのコメント...

大衆に選ばれたフランスのエリートの立場はフランス人なんでしょうか?
僕はエリートの特権的思考能力を自分達に落とそうとする日本の方が好きです

Yumiko さんのコメント...

私の主人はベトナム人2世でグランゼコール出身者@INRIAです。人種差別が根強いフランスで、庶民であり、移民であり、白色人種でない人間が、努力だけでエリートグループに入れる、唯一の手段だと思えます。

ですので、グランゼコール組に入れなかった人たちからのやっかみは絶えません。しかし、そういった人たちは仕事場ではまるで学生のようにのんびりとおしゃべりしながら過ごし、仕事中なのに次のバカンスの話で盛り上がり、17時には即退社…。では、実際に仕事をしているのはだれ?となると、やはり、グランゼコール組なのです。

私自身、理系女子として、日本の企業の研究所で研究員をしていましたが、日本では、相対的に一人一人の能力がフランスよりも高いものの、(とくに文系出身者のレベルがフランスの文系出身者より高いと思います)、実際に企業を支えているのは全体の5%の人間であることは社内でも皆が納得している事実であり、少数がその他をひっぱっていく構図はフランスに似ているなと感じます。

資源がなく、おもに技術力に頼っている日本なので、その5%の人間に対してだけでも、若い頃からもっと競争を仰ぐ、スペシャリストを育てるシステムがあってもよいのではないか、日本の大学生活4年間はもう少し実のあるもにできるのではないかと思います。

facebookのフランスの日々みつけました~。

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