2009年12月18日

市民が望んでないことを実現するリーダーが必要


Paris, France
東アジアに安定と調和のとれた社会を作ったり、少子高齢化による社会のダメージを補うためなど、これからは日本では様々な場面で大きな転換が求められることになると思います。そのためには、選挙で選ばれたリーダーが市民が望んでない政策を実現していく必要があるんだろうと思います。それも、突き詰めると単に”現在の日本”に必要なだけでなく、投票による民主主義システム全般にわたって必要不可欠だと考えられます。

リーダーが現実を変えた後に大衆の意識が変わる

なぜリーダーには市民が望んでない政策を実現していく必要があるかというと、多くの場合、現実が変わる前に大衆の意識が変わることが無いからです。幕末に攘夷か開国かで揉めていた時に、開国する前に開国の方が正しいと大衆に分からせるのは至難の業です。江戸時代に牛肉を汚れていると思っていた人たちも、文明開化の後に「すき焼き」を食べて初めて異国の文化も良いかも知れないと思い始めたりするのです(日本の獣肉食の歴史)。

欧州の歴史を見ても望まれない政策が実行されて初めて、人々に理解されるという推移をたどっているものがあります。現在のヨーロッパの強みはEUという共同体の調和だと理解されています。しかしフランスでは30年にわたり2回も殺し合ったドイツと和解するのは、大衆の望みを越えるリーダーの決断が必要でした。通貨統合、共通防衛、出入国管理の撤廃(シェンゲン条約)、欧州大統領、欧州憲法(未達成)などは、国家の役割を解体していく過程です。フランス万歳な人たちが賛成するわけはありません。決して大衆が納得済みで行われてきたことではないのです。本ブログでオススメの書「[書評] フランスの外交力—自主独立の伝統と戦略」では、ヨーロッパの父が以下のように考えたと書かれています。
この試みを主導したのは、のちに「ヨーロッパの父」と呼ばれることになる二人のフランス人、ジャン・モネとロベール・シューマン外相であった。二人は欧州統合の基本は仏独和解にあると信じて疑わなかった。しかし、三〇年にわたり干戈(かんか)を交えた両国国民間の不信を解消することは一朝一夕にはできない。そのためには、協力と連帯の実績を一つ一つ積み上げていくしかないと、二人は考えた。モネは後年著した回想録の中で、次のように述べている。
「世に起こることの流れを変えなければならない。そのためには、人々の精神を変えなければならない。言葉のみでは不十分である。本質に関わる行動を直ちに起こすことによって初めて、現在の停滞状況を変えることができるのである.... 現在与えられている条件の下でドイツ問題を解決しようとしてはならない。条件そのものを変えていかなければならないのである。」(p.86)
順を整理すると、リーダーの発想→行動(現実が変わる)→人々の精神が変わる、となります。こういった場合、人々の意識が変わる前に現実を変える必要があるのです。

民主主義システムはわがままな政治家を想定している

民意を反映するリーダーが善で、民意を汲まないリーダーが悪とされる風潮の中で、「市民が望んでないことを実現するリーダーが必要」と言うと突拍子も無く聞こえるかもしれません。しかし、逆に民意を反映するリーダーは必要ないことが以下のように考えると分かります。

現在の民主主義ではリーダーを選出するために投票します。そして、そのリーダーが政策を決定します。ここでもし仮に、人々が政策に直接投票できるシステムができれば、それを使うでしょうか?Webで簡単に政策への賛成/反対を投票できたりするシステムができたとします。何千もある政策を理解し意見を表明するのが手間であるなら、人々の意識を抽出し政策を決定できる未来のシステムが完成したとします。こんなシステムは使えないことは直感で分かります。自分に都合のいい政策ばかりに賛成すれば、総論賛成、各論反対となって、各政策ごとの整合性はバラバラになります。

こう考えると現在の民主主義がなぜ政策ではなく人に投票するのかが分かります。市民は賢くて信頼できる人物を互いに選び合って、その人に政策を決定してもらいます。いわば、選出された人は自分よりも賢く政策に詳しくて、かつ信頼できるということを前提としています。とすれば、選出された人が自分が反対する政策を進めていったとしても、その人の方が賢く正しいという前提に立って、信頼してついていかなければなりません。投票によって最も賢くて信頼できる人物が選ばれたのですから。

選出された人から見ると、市民が望んでいない正しい政策を推進していく必要があります。市民が現在望んでいることだけを進めるのなら、上記の政策へ直接投票するシステムを利用すれば良いはずです。そうしないのは現在のシステムは、リーダーが大衆が見ている未来よりも先を見通して、大衆の望むもの以外を進めていくことを期待しているからです。民主主義システムは市民が望んでないことを実現するリーダーを必要としているのです。

まとめ

民主主義システムは市民が望んでないことを実現するリーダーを必要としています。こういったリーダーは特に近い将来の日本に必要なんだと思います。市民は賢くて信頼できる人物を互いに選び合うことで、最も賢く信頼できる人物が選出できるかには疑問が残ります。また選ばれたリーダーに無批判についていくことは、ヒトラーのようなリーダーを生む可能性もあります。正しく人物を選ぶということは、また別の難しい問題です。チャーチルは「実際のところ、民主主義は最悪の政治形態と言うことが出来る。これまでに試みられてきた民主主義以外のあらゆる政治形態を除けば、だが。」と言ったそうです。実際はより良いシスムがまだ無いと言ったところでしょう。つまり、正しい人物を選べる確率を上げていくしか無いのでしょう。個人的には投票義務化でも良いかなと思います。国家は税でお金を徴収する代わりに、または追加で、国民に頭脳の活用を強いるわけです。膨大な教育費をかけて鍛えてきた国民の頭脳をフル活用する良い案だと思うのですが、どんなもんでしょう?

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4 comments:

masatoi さんのコメント...

先を見通すことのできるリーダーが市民に道を示してくれるのをただただ期待する、ということでしょうか。
市民にはリーダーにどれくらい先見の明があるかを評価することが難しいため、とりあえずやらせてみて、その結果で評価するしかない。しかしそれではまるで博打です。しかも結果が出るまでに時間がかかりすぎる。
人を評価するのは政策を評価することよりも難しく、不確実です。政権をとった後にリーダーが豹変することもありえます。実際市民が望んでいないことを進めるには、独裁政権が最も効率的で迅速であるわけです。

私自身は、究極的には市民が直接政策立案に参加することが望ましいと考えています。そもそも間接民主制とは、直接民主制の市民への負担を回避するためのものだったはずです。技術的に市民への負担を軽減できるなら、間接民主制である必要はありません。間接民主制に市民の望むこと以上を期待するのは筋が違うような気がします。
正しいリーダーによる独裁政治は、多くの形態の民主主義のシステムに勝るでしょうが、正しいリーダーの出現が稀であるということが問題です。

直接民主制だとみんなが自らのエゴを主張して政策がまとまらない、一貫性が保てないとのことですが、これはシステムの設計の問題であるように思います。
現実には、媒体としてはインターネットがありますが、意見を集約するうまいシステムがまだないように思われます。ここがクリアされれば、いくつかの数万人単位の小規模な自治体で直接民主制を実験することも可能になってきます。

hantefu さんのコメント...

政治は人なり、ですねえ。スティーブ・ジョブスの話を聞いているような錯覚を感じました。あとで、「ああ、そういう意味だったのか」という老練さを、指導者に期待したいものです。

コメントの方の「意見の集約」は賛成です。権利団体からの集団投票が力を持つ現状はおかしい。それなら封建主義の方が、まだ政治が機能するでしょう。

だけどそれには戻れないので、法的に実効力を持つような「意見の集約」を、ネット経由で行えるようになれば・・・。

匿名 さんのコメント...

下手をするとそれこそ恐怖の独裁政治になるので難しいのですが、かといって直接民主制が万能だとも思えないんですよね。
というのも、世の中には専門的でかなり難しい問題が数多く存在するので、仮に意見を集約する技術を作ったとしても、個々人の中で意見を持つために必要とするコストが高過ぎるでしょう。
さらに難しいのは、前提となる知識の無い一般市民だと、それに専念したとしても誤った判断を下してしまう可能性が高いということです。最近でもアメリカでの金融詐欺事件で、陪審員が理解できず無罪にしてしまった、というのが話題になりましたよね。また、そうでなくても扇動に容易く影響されてしまう(=究極のポピュリズム)ということも考えられます。

こういうところこそ政治学者の知見が生かされるべきなのかなと思います。

匿名 さんのコメント...

フランス留学から帰った医師の印象は、「フランス人は臭かった」でした。私が東京の某大病院に勤務していた時の話です。
1年程、フランスへ留学して戻った医師に感想を聞いたところ、先ず言ったことが、「臭かった」でした。

思い出せば、ベルサイユ宮殿で華やかに舞踏会が行われていた時代は、宮殿内部も町も、フランスやイギリスでは都市の至る所が便臭で充満していたはずです。
祭りになると、パリの噴水はオレンジ入りの水を噴き上げたそうです。贅沢を楽しんだのではなく、街頭に溢れる糞尿のにおいを、オレンジの芳香で消そうとしていたのです。

女性をスマートに見せるハイヒールもイギリス紳士の外套や帽子も、単刀直入に言えば「ウンコ避け」だったのです。
なんじゃ?と疑うでしょうが、本当のことです。ハイヒールが登場した17世紀は、西洋の都市にはトイレがなく、糞尿であふれていました。

あのルイ14世はベルサイユ宮殿を居城としていましたが、当初は、ルーブル宮殿に住んでいました。
このルーブル宮殿が糞尿まみれになり、耐えられなくなってベルサイユ宮殿に引っ越したのです。

貴族たちは、芳香をたいた携帯用の便器(オマル)や溲瓶を持参していました。
溲瓶は陶製品で、とって付きの、カレーライスのソースポットのような形でした。
とってを持って、股に挟んで用をたしていたのです。

舞踏会の参加者たちは、礼儀正しく携帯した便器で用をたしていました。
ここまではいいのですが、肝心な中身は庭に捨てていました。そのせいで1764年には、宮殿の通路、中庭、回廊などが糞尿で溢れてしまい、その悪臭は相当のものだったそうです。
あの美しく豪華絢爛の、ベルサイユ宮殿は臭い臭いウンコ宮殿だったのです。

これに比べ、日本の江戸時代にはトイレがあり、糞尿は業者が引き取り、肥料として周辺の農家に売却されていました。
ペリー来航当時の外国人の記録には、江戸の町が整然と整備され、至る所が花で飾られて美しく、衛生的であることに驚嘆した様子が書かれています。

、しかし、江戸城では城内の糞尿は特別の通路を流れて周囲の堀に捨てられていたため、周囲の臭気はひどかったそうです。
忍者が忍び込んだ秘密の抜け穴は、多くはこの糞尿を流すための設備だったようです。

映像で見ると華やかなベルサイユ宮殿も町並みも、実は、糞尿だらけの非常に臭い都市だったのです。
当時を描いた映画などでは、さすがに、宮殿や街頭に糞尿はありませんので美しいのですが…、真実は知らない方が良い場合もあるようです。 
現代のフランス人が「臭い」ことに鈍感なのは、この様な、歴史的な経緯も影響しているのでしょうか 。

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