2009年8月2日

怠け者同盟の社会と働き者の社会の間の競争の中の日本


Versailles, France
もうそろそろ日本はもうダメだと言わなくてもよい このエントリーを含むはてなブックマーク」で述べたように日本は経済的には大成功しています。しかしながら、「怠け者同盟の社会は人類の未来 このエントリーを含むはてなブックマーク」で述べたように、怠け者同盟の社会というコンセプトを未来の社会とすると、日本の達成度は、低いと言わざるを得ません。

日本では、「ニートの海外就職日記」に書かれているようなブラックな会社が労働者に対し暗にサービス残業や休日出勤を強制しつつ、日本の製品の国際的競争力を押し上げているという側面もあります。過去、日本は限り無ない”自由”な競争によって全体の富を拡大するアングロサクソンモデル(米英)を忠実に踏襲してきたと言えます。

他国への波及なき怠け者モデルは机上の空論

日本で怠け者同盟の社会が達成できないのには、ハードワークを美徳とする風土や、労働力の低下を恐れる経団連の意向など、いろいろとあるとは思いますが、一番大きい問題として日本が自国の理念を他国に波及する力を持っていないことが挙げられます。「怠け者同盟の社会が働き者の社会に対抗する手段 このエントリーを含むはてなブックマーク」で述べたように、怠け者同盟の社会は、グローバルな競争において働き者の社会に勝つことはできません。対抗の手段は、1.仲間を募って同盟を拡大し、2.世界を説得する論理を創り出すことでした。「怠け者同盟の社会と働き者の社会の間の競争の中のフランス このエントリーを含むはてなブックマーク」に書いた通り、フランスは他国に理念を波及する放射型外交であるのに対し、日本の外交方針は妥協型外交です。日本はある問題を解決するために、自らを変える国だと言えます。

放射型外交のフランスと妥協型外交の日本
妥協型外交」(politiques étrangères de compromis)とは、過去の経験が桎梏(しっこく)となり、世界との関係において何らかの思い切ったことをしようとする時に、国内のコンセンサス形成に困難が生じる国の外交をさしており、ドイツと日本がこれに該当する。(P.50)
日本では怠け者ルールを適応すると、グローバルな競争の中で一人負けを喫する危険があるのです。怠け者の社会が未来の理想と言っても、自国だけが貧しくなっていく恐怖に打ち勝てる国は無いでしょう。特に日本はその恐怖の強い国だと感じます。現状の日本においては、思い切った怠け者ルールの適応は不可能です。「ニートの海外就職日記」のスローガン”クソ労働環境を変える!俺たちの声で社畜の目を覚まさせようw!”の考え方には賛同しますが、根本的な解決は難しいように感じています。

実利重視の日本、思想から自由な日本

世界を説得する理念の構築と波及ができない日本では、グローバルな競争において一人負けする可能性のある未来の社会を、世界に先駆けて作ることは不可能です。しかし、この点が日本の長所でもあるのです。つまり、世界を説得する理念を持たない日本は思想から自由なために、一度コンセンサスを得れば、実利本位で自由に社会を改革することが可能です。日本人は世界のルールを素早く理解し、自らを変化させる能力が高いようです。

例を挙げると150年前、日本が開国したとき世界は、”進んだ文明が遅れた文明を教育することが人道的に正しい”と考えられた帝国主義の時代でした(「白人の責務」 (The White Man's Burden) など)。日本は西洋の決めたこのルール素早く理解し、自らを変化することにより開国からたった37年で日清/日露戦争に勝利を収めるまでになりました。善悪は別として、日本はこの時代のルールにおいて大成功を収めたわけです。また、60年前の敗戦後に西洋が決めたルールは、自由主義的な市場経済のルールでした。日本中が焼け野原になり0からの出発となった日本は、戦後約25年で国内総生産(GDP)で世界第二位になった後、ずっとその地位を守っています。日本はこの時代のルールおいても優秀なプレイヤーだったと言えます。

日本は、西洋が決めた西洋に都合のいいルールにおいて、成功することの出来た唯一の非西洋の国でした。日本は思想から自由なために、一度コンセンサスを得れば、その時代のルールに則って実利本位で自由に社会を改革することが可能な強みがあります。

怠け者の理想は「西洋に都合のいい口実」という側面

ひるがえって、未成年の劣悪な労働環境など、一定基準を満たさない新興国の労働環境を非難できる”怠け者ルール”は、既に先進国となった西洋が途上国の必死の頑張りによる追い上げを封じることのできる西洋に都合のいいルールとも言えます。人々がより幸せに生きるという人道に適った理念は、実は途上国の発展に足かせをかける途上国に不利なルールです。

過去を考えれば、150年前には”進んだ文明が遅れた文明を教育すること”が人道に適うこととされ、60年前には”自由主義的な市場経済によって全体の富を増大すること”が人々を幸せにすると主張されました。どちらも強者の西洋が、弱者のそれ以外の国を支配する試みだったと言えます。アジア、南米の台頭に危機感を覚えた西洋は、”怠け者ルール”を使って、またもや自分たちに都合の良いルールに変更しようとしている側面もあります。

何もできない日本、何もしなくていい日本

理念の構築と波及が苦手な日本、ルールの理解と適応が得意な日本、という二つの要素から導かれる結論は、日本にとって悪いニュースと良いニュースです。悪いニュースは、日本がブラックな会社に代表される劣悪な労働環境を劇的に改善するのは難しいという点です。理念の構築と波及ができない日本は、怠け者ルールで自国だけが貧しくなる恐怖に打ち勝てません。さらに言えば、日本が万が一、世界に先駆けて怠け者同盟の社会という先進的な社会を作り上げたとしても、世界を説得する論理を作れるとは思えないのです。世界の国々はその理念なしでは、日本に誕生した先進的社会を信用しないでしょう。せいぜい極東の島国で偶然成り立った社会だと見なすことでしょう。そして、他国に理念を波及できなければ、自国だけが貧しくなります。

良いニュースは、世界が怠け者同盟の社会の理念で統一されれば、日本は西洋に劣悪な労働環境を非難されることになり、”外圧”によって劣悪な労働環境からくる社会問題を解決できることです。劣悪な労働環境で生産された製品がEU市場から排除されるような事態になれば、どの企業も改革に乗り出します。さらに、150年前や60年前とは違い、日本は西洋と同じ強者の側にいる点も、見逃せない良いニュースです。ついでに、この解決法において、日本の政治家に期待する必要の無いことも、良いニュースと言えるかも知れません(泣)。

「外圧を待ち、それまで現状維持」が最善の策

ここで問題となるのは、何時の時点で”外圧”がかかるかということです。それは、分かりません。「怠け者同盟の社会と働き者の社会の間の競争の中のフランス このエントリーを含むはてなブックマーク」に書いた通り、将来、自由主義的な市場経済への風当たりが強くなった時や、非人道的な労働への圧力が強まったときなど、だと言えるだけです。

独力で世界を変える力の無い日本は、外圧を待ちつつ、国内の産業の国際競争力を維持するために現状の自由競争路線を維持するのが、取りうる最善の策だと思います。
  1. 怠け者同盟の社会のまとめ
  2. 怠け者同盟の社会は人類の未来
  3. 怠け者同盟の社会が働き者の社会に対抗する手段
  4. 怠け者同盟の社会と働き者の社会の間の競争の中のフランス
  5. 怠け者同盟の社会と働き者の社会の間の競争の中の日本(本エントリ)
  6. 怠け者同盟の社会の中で輝きを取り戻す日本
  7. 自由のスパイラルから脱出を目指す怠け者同盟
  8. 労働に対する社会の仕組みを試験に例える
  9. ベーシック・インカムよりも怠け者同盟の社会 このエントリーを含むはてなブックマーク

21 comments:

匿名 さんのコメント...

日本にとっての国際社会というものは、長らく、西欧国家社会を母体に発展した、西洋中心の社会でしかなかったように思います。日本はそんな中で、大部分の期間を、「異質」であると見なされることに怯えながら過ごして来たのではないでしょうか。

周囲の目を異常に気にし、自身を常に従属的な(好意的な見方をすると「ルールの理解と適応が得意な」)存在としか見なせない卑屈な性質は、「いじめられっこ」根性そのものです。

近年では、非西洋の新興国の台頭により、世界は多極化していくなどと言われています。日本は異常な国だとみなされがちですが、実際に異常だったのは国際社会のほうではないでしょうか。

日本がやっと異端者という立場から開放され、自己をしっかりと確立する機会が得られようかというときに、相変わらずの固定観念だらけの日本論や日本像を前提として議論するのはどうでしょうか。

日本に存在する劣悪な労働環境は正すべきだとは思いますが、あまりにも極端な価値観の押し付けはどうかと思います。膨大な努力をつぎこまなければ達成できないようなことだって世の中いろいろとあります。また、「怠け者ルール」を直ちに全世界に適用したとして、現代社会がうまく機能するかということにも疑問があります。深刻な機能停止に陥る部分もあるでしょうし、「働き者たち」から搾取することで「怠け者たち」が存続していたにすぎない、というような状況もありえます。

Madeleine Sophie さんのコメント...

コメントありがとうございます。

> 周囲の目を異常に気にし、自身を常に従属的な(好意的な見方をすると「ルールの理解と適応が得意な」)存在としか見なせない卑屈な性質は、「いじめられっこ」根性そのものです。
> 近年では、非西洋の新興国の台頭により、世界は多極化していくなどと言われています。日本は異常な国だとみなされがちですが、実際に異常だったのは国際社会のほうではないでしょうか。
> 日本がやっと異端者という立場から開放され、自己をしっかりと確立する機会が得られようかというときに、相変わらずの固定観念だらけの日本論や日本像を前提として議論するのはどうでしょうか。


なるほど。今後の世界は、過去の世界と違うルールで動いていくという考え方もできますね。ただ、過去と現在にそれほどの断絶があるのかどうか、少し疑問です。

60年前に西洋が「自由主義的な市場経済によって全体の富を増大すること」が人々を幸せにするという論理と主張した時に、グローバルな競争が人を幸せにしないと言う論理で、対抗できませんでした。西洋が論理を持ち出す時には、それを上回る論理で対抗するしかありません。論理には論理で対抗しなければならないからです。「なんだか分からないけどあなたに都合のいいルールだからヤダ」ではダメなわけです。

過労死、過剰労働による鬱などを取り上げられ、「グローバルな競争は人を幸せにしない」と主張された時に、それを上回る論理をどうやって創り出すかが問題となります。ある論理を受け入れたくないならば、それを打ち消す論理の構築が必要です。これが外圧の決定的な面でもあると思います。

> 日本に存在する劣悪な労働環境は正すべきだとは思いますが、あまりにも極端な価値観の押し付けはどうかと思います。
実は現状の『自由な競争』というのも価値観の押しつけです。自由な競争が行われている世界において、脱落すること以外に『自由な競争』を逃れる手段が無いのですから。「自由な競争」も、「怠け者ルールの押しつけ」も、価値観の押しつけという点においては全く違いがありません。

> 「怠け者ルール」を直ちに全世界に適用したとして、現代社会がうまく機能するかということにも疑問があります。深刻な機能停止に陥る部分もあるでしょうし、「働き者たち」から搾取することで「怠け者たち」が存続していたにすぎない、というような状況もありえます。
もちろんあり得ます。

花園 祐 さんのコメント...

 外交に関する意見はSophieさんの言う通り、欧米が積極的に枠組みを作ろうとするのに対してそれに合わすか、妥協するか、拒否するかが日本のこれまでの姿勢だったように思えます。

 怠けるという社会的価値は私もよくわかるのですが、その一方で「働くことに価値がある」と信じ込むことで救われてきた人間が日本人にはたくさんおり、若者はともかく今ここで一気に怠けへ舵を切ると対応しきれない人たちもたくさんでるでしょう。ほかの方らもよく述べていますが、もうすこし時間をかけてゆっくりやることが、現代の日本の課題じゃないでしょうかね。

匿名 さんのコメント...

>西洋が論理を持ち出す時には、それを上回る論理で対抗するしかありません。論理には論理で対抗しなければならないからです。

論理に論理で対抗するというよりも、提案された論理の妥当性が疑わしいと思わせれば良いだけでしょう。そうすれば現状維持が続きます。

まず、その論理というものがはっきりとしないのですが、「より大きな幸福へ向かう筋道」として、

 1.児童労働や労働者の健康を著しく害するほどの過度の労働を禁止する
 2.ある程度の経済成長や技術革新ができるくらい働き者がいるべきだ
 3.低成長でも自分たちの現代的な生活が維持できる程度でほどほどに働く
 4.労働はもっと少なく、何が起こるか知らないけれど(おそらく前近代へ逆戻り)

のうち、どのあたりまで「怠け者になる」べきなんでしょう。1は当然受け入れるべきでしょうけど、多くの人は2を望んでいるでしょう。正直言って、フランスだらけの世界では、せいぜい3と4の間のどこかだと思いますがどうなんでしょうか?

エントリ『もうそろそろ日本はもうダメだと言わなくてもよい』にあるように、「フランスの3人の教授がみんなソニーのVAIOの最軽量モデルを2年間の間に何回か買い替えながら使う」ことや、「観光地に行った時に旅行者の持つデジカメとデジタルビデオカメラは少なめに見積もっても80パーセント以上は日本製」となるには、東アジアや米国などでの壮絶な競争による品質向上と価格低下がなければ起こりえなかったことですよね。

「怠け者同盟」の賛同者たちに「自分の足元をみて、よく考えろ」と言えば、考え(論理の妥当性)はかなり揺らぐのではないでしょうか。よそで労働時間が減るごとに、手に入らないものが増えていくかも知れませんよ。フランス人たちの豊かな生活は既に、「働き者」たちが生産する物の上に成り立っているのではないのですか?

Madeleine Sophie さんのコメント...

コメントありがとうございます!

> エントリ『もうそろそろ日本はもうダメだと言わなくてもよい』にあるように、「フランスの3人の教授がみんなソニーのVAIOの最軽量モデルを2年間の間に何回か買い替えながら使う」ことや、「観光地に行った時に旅行者の持つデジカメとデジタルビデオカメラは少なめに見積もっても80パーセント以上は日本製」となるには、東アジアや米国などでの壮絶な競争による品質向上と価格低下がなければ起こりえなかったことですよね。

その通りです。こういった競争的な社会にNOを突きつけているわけです。GDPが年率2%拡大していく社会では、GDPは100年で7倍になり、1000年で4億倍になります(404 Blog Not Found:GDPを一日で倍にする方法(の耐えられない軽さ))。エネルギー資源、人的資源、労働時間を果てしなく投入し続けて経済的繁栄を目指すことが、人々の幸せにつながる時代は終わろうとしているという認識が根底にあります。それは、地球の支えられる資源の制約、人の体力の制約、24時間と言う人に与えられた時間の制約などが限界に近づいているからです。限りある資源を最適に分配する社会が、人類の幸せにつながると言う論理を覆すのは難しい気がしています。

自ら努力する行為が罪になってしまう社会は、息苦しく感じるかもしれませんが、何でも自由にすると限りなく競争がエスカレートすることは残念ながら真理です。どのようにしてか競争を抑制する必要があります。

>1.児童労働や労働者の健康を著しく害するほどの過度の労働を禁止する
>2.ある程度の経済成長や技術革新ができるくらい働き者がいるべきだ
>3.低成長でも自分たちの現代的な生活が維持できる程度でほどほどに働く
>4.労働はもっと少なく、何が起こるか知らないけれど(おそらく前近代へ逆戻り)
よって、この4つはすべてがYesだと言ってもいいと思います。


> 「怠け者同盟」の賛同者たちに「自分の足元をみて、よく考えろ」と言えば、考え(論理の妥当性)はかなり揺らぐのではないでしょうか。よそで労働時間が減るごとに、手に入らないものが増えていくかも知れませんよ。フランス人たちの豊かな生活は既に、「働き者」たちが生産する物の上に成り立っているのではないのですか?
常に拡大するだけの経済システム自体を否定しているので、怠けものになることで経済という尺度で不便になるというのは反論にならないのです。手に入らないモノが増えたとしても、労働による負荷を減らして「幸福」となる要素を増やすと言っています。自由な競争を通じて全体の富を拡大することが幸福という日本に染み付いた思考を一度取っ払ってしまうことをお薦めします。

↓mojixさんも同じようなことを述べられていますので、シリーズを終えたら、このエントリのコメントのやり取りを含め一つのエントリにまとめてみようかと思います。
どんなに素晴らしい価値観であっても、価値観の「強制」には反対する - Zopeジャンキー日記

コメントありがとうございました。

F Fries さんのコメント...

>限りある資源を最適に分配する社会が、人類の幸せにつながると言う論理を覆すのは難しい気がしています。

これは非常に西欧的な見方だと思います。「富の再配分」という概念は、アメリカではblasphemy呼ばわりされかねません。Madeleine Sophieさんにはわざわざ申し上げる必要もないこととは思いますが、いわゆる「欧米」と一括りにすることの危険性を改めて感じました。

さて、「怠け者同盟」ですが、フランスはドイツが低賃金で長時間労働したら大憤慨するでしょうが、中国人やインド人がほどほどの条件で長時間労働することは容認しているような気がします。つまり、「怠け者同盟」に参加するためには一定の条件を満たす必要がある。この背後には「先進国」「白人」の優越感が見え隠れするように思うのは、わたしの読み過ぎでしょうか?(ちなみに、アパルトヘイト下の南アフリカでは、日本人は「名誉白人」だったのですよね。)

Madeleine Sophie さんのコメント...

F_Friesさん、

> これは非常に西欧的な見方だと思います。「富の再配分」という概念は、アメリカではblasphemy呼ばわりされかねません。Madeleine Sophieさんにはわざわざ申し上げる必要もないこととは思いますが、いわゆる「欧米」と一括りにすることの危険性を改めて感じました。
アメリカとヨーロッパを一括りにした欧米という言葉はこのブログでは避けることが多いです。このエントリのアングロサクソンモデルが欧米と誤植されていましたが、もちろん米英です。直しておきました。

アメリカに住んだことは無いので、肌感覚は分かりませんが、アメリカはひたすら自由を重視して、富の再分配をする政府は小さければ小さいほど良いという考えが主流のようですね。

[書評] 日本とフランス 二つの民主主義にあるように、ヨーロッパでは自由というのが悪い意味を持ち始めています。欧州憲法が否決された理由も「提案された憲法がリベラルすぎる」というものでした。

「ちなみに、ヨーロッパではリベラルという言葉がそれほど肯定的な響きを持っていない。特に左派は、リベラルという語を嫌悪さえしている。, p73」

これだけ違うのに、この話題では欧米とくくるのは不可能ですよね。(ちなみにアメリカではリベラル=宗教的リベラルで、左派になるんですよね。複雑です。)

> さて、「怠け者同盟」ですが、フランスはドイツが低賃金で長時間労働したら大憤慨するでしょうが、中国人やインド人がほどほどの条件で長時間労働することは容認しているような気がします。つまり、「怠け者同盟」に参加するためには一定の条件を満たす必要がある。この背後には「先進国」「白人」の優越感が見え隠れするように思うのは、わたしの読み過ぎでしょうか?(ちなみに、アパルトヘイト下の南アフリカでは、日本人は「名誉白人」だったのですよね。)
現状ではそういった面は否定できないかもしれません。先進国以外では怠けることは不可能という現状があります。

フランスの日々: 怠け者同盟の社会は人類の未来の試験の例だと、「トップレベルを目指す者は8時間睡眠を義務づけるが、試験勉強が進んでない者は何時間睡眠を削っても良い」というルールになるかもしれません。なんと都合の良いルール....

匿名 さんのコメント...

>こういった競争的な社会にNOを突きつけているわけです。GDPが年率2%拡大していく社会では、GDPは100年で7倍になり、1000年で4億倍になります(404 Blog Not Found:GDPを一日で倍にする方法(の耐えられない軽さ))。

この言説とリンク先を読んで脱力してしまいました。私のほうで Madeleine Sophie さんの真意を読み違えているためか、議論がうまくかみ合わないようですね。


現代文明が、今のままの状態では 100 年程度の時間スケールで考えても、持続不可能であるということには同意します。だからといって現代文明を丸ごと投げ捨てようというのは極論ですよね。それに後進の者たちを抑圧することで時間稼ぎをしようという考えには、道義的な観点からみても反対です。私が主張したいのは、「現状を考えてみれば、今後 50 年程度の戦略としては、現代文明を地球上で持続可能な形にうまく変形させていく必要があり、それには今後とも邁進して技術革新を続けていくしかない」ということです。もしそれにうまく成功したならば、その後に人類が怠け者になろうが知ったことではありません。

ちなみに 100 億年の時間スケールで物事を考えると、太陽はそのうち死に向かい、その過程上で地球は不毛の惑星となり、よって地球上のいかなる文明も存続できなくなる、ということらしいです。


>自由な競争を通じて全体の富を拡大することが幸福という日本に染み付いた思考を一度取っ払ってしまうことをお薦めします。

「自由競争が富を拡大し、幸福をもたらす」という考えが、人類にとって永遠不滅の普遍的な信念であるべきだなんて言うつもりはありません。

私は、現代文明を維持していくと言う前提のもと、穏当な社会主義路線を打ち出しているだけなのであれば反対はしません。この場合、何も革新的なことはないですよね。しかし、極端な共産主義や懐古趣味的な妄想のもと「太古への回帰」を打ち出すつもりであればもちろん反対します。

単に私は、ある程度現実主義的で、「人類の普遍的な価値観」なるものにあまりにも固執することはせず、多様な価値観をある程度認め、硬直化を避け柔軟性を維持し、未来の予測が難しく変化の激しい現代社会にうまく対処していくべきだ、というだけです。つまり中庸です。

Madeleine Sophie さんのコメント...

> この言説とリンク先を読んで脱力してしまいました。私のほうで Madeleine Sophie さんの真意を読み違えているためか、議論がうまくかみ合わないようですね。

いえ、僕の方の説明が抜けていました。怠け者になることで、1.個人の資源を節約できるところは多く説明していましたが、2.社会全体の資源も最適化する視点にももう少し説明を割くべきだったと思います。1と2を両方扱ったエントリとして、「フランスの日々: 競争の抑制によるソシアリスムの実現」がありますので、ぜひご覧ください。

> 「現状を考えてみれば、今後 50 年程度の戦略としては、現代文明を地球上で持続可能な形にうまく変形させていく必要があり、それには今後とも邁進して技術革新を続けていくしかない」

これは、重要な論点かも知れませんね。加速する投資と生産によってエネルギー効率を上げて、問題を解決するアプローチですね。フランス人達は、減速によって問題を解決するアプローチを提案しています。例えば自動車会社で増加した投資に見合うようの自動車の売り上げを伸ばし、3年間で車を乗り換えるように促し、その利益を投資にまわすという循環を他社に負けないようにしないと社員の雇用が守れない仕組みが変わるべきだという感じです。

>ちなみに 100 億年の時間スケールで物事を考えると、太陽はそのうち死に向かい、その過程上で地球は不毛の惑星となり、よって地球上のいかなる文明も存続できなくなる、ということらしいです。

さすがに100億年の未来への考えはありませんでした。地球が誕生したのが45億年前と言われていますし、人類の直接の祖先と言われているクロマニョン人が誕生したのも20万年前らしいですからね。GDPが4億倍になるのはたった1000年しかかかりません。

>私は、現代文明を維持していくと言う前提のもと、穏当な社会主義路線を打ち出しているだけなのであれば反対はしません。この場合、何も革新的なことはないですよね。しかし、極端な共産主義や懐古趣味的な妄想のもと「太古への回帰」を打ち出すつもりであればもちろん反対します。
>単に私は、ある程度現実主義的で、「人類の普遍的な価値観」なるものにあまりにも固執することはせず、多様な価値観をある程度認め、硬直化を避け柔軟性を維持し、未来の予測が難しく変化の激しい現代社会にうまく対処していくべきだ、というだけです。つまり中庸です。


フランス人は理想はいいますが、実際の外交では冷静で現実的だと思います。極端な極端な共産主義や懐古趣味的な妄想は無いと思います。また、そもそも現在世界を席巻している全ての人は法の下に平等自由に商業を行えることになっている理念は、元はと言えばフランス革命によって生み出されたものです。そのフランス人が自由を制限するという理論を持ち出してきた時には、少しは耳を傾けるべき物が含まれているように感じています。

そもそも4つのエントリで述べてきた理念は現在のフランスの風潮を分析して、未来の予想をしたものです。何時外圧が来るか、僕が生きている間か、3、4世代後か分かりません。その時に、彼らの背後にある思想を理解した上で、反発するなり、従うなりした方がいいというのが、僕の意見です。そして、「植民地主義」、「自由な市場による経済戦争」と仕方なくしたがってきた日本ですが、今度の外圧ばかりは日本の過剰労働問題と、世界での立ち位置を良くする従う価値のある物だという認識です。

怠け者になった日本を予想するエントリも時間のある時に書こうと思っています。ぜひコメントくださいね。コメントありがとうございます。

Madeleine Sophie さんのコメント...

議論の噛み合なかったところも考慮して、新しいエントリを立てました。文章に不備があればぜひ指摘してください。
フランスの日々: 自由のスパイラルから脱出を目指す怠け者同盟

匿名 さんのコメント...

議論があまりかみ合わないようですね。まず議論の前提条件や現状認識などに大きなずれがあり、どうにもならないように感じます。

>>「現状を考えてみれば、今後 50 年程度の戦略としては、現代文明を地球上で持続可能な形にうまく変形させていく必要があり、それには今後とも邁進して技術革新を続けていくしかない」

これは、重要な論点かも知れませんね。加速する投資と生産によってエネルギー効率を上げて、問題を解決するアプローチですね。フランス人達は、減速によって問題を解決するアプローチを提案しています。


まず現状認識として、現代社会のインフラを維持していくだけでも大量の資源やエネルギーを使用してしまうであろうという(私にとっての)事実があります。

私は現状を考えれば、単純な「減速」は問題解決ではなく問題の先送りに過ぎず、やがて「後退」という局面が訪れるだろうと主張してきたつもりです。幾分極端な考えに思えるかもしれませんが、減速の方法や度合いしだいではそうなってしまうかもしれません。

私の考えは、人類のためにならない不毛な販売競争を抑制する努力を払う一方で、循環型社会に適合するよりクリーンな製品の開発や販売のための競争は逆に促進すべきだ、というものです。


>さすがに100億年の未来への考えはありませんでした。…(中略)… GDPが4億倍になるのはたった1000年しかかかりません。

100億年の未来という例を持ち出したのは、100年後や1000年後の未来の世界という、現在から遠く離れた空想上のものでしかないものを持ち出しても、何にもならないという事を示唆するためです。(新)自由主義者の信奉者たちだって、せいぜい自分が生きている間か、子供たちの世代の事ぐらいしか考えてはいないでしょう。『怠け者同盟』というものは、今後1000年にわたって人類を律する何かであるという壮大な主張をされるおつもりですか?

また、GDPというものは現代的な国家や地域の経済規模を測る、不完全なひとつの巨視的な指標にすぎません。それに人類が100年後までに、無尽蔵の資源と圧倒的な数の地球と似た環境の惑星を有する宇宙に飛び出すなどという勝手な仮定を行っても良いのであれば、1000年で4億倍のGDPの増加も可能でしょう?

Madeleine Sophie さんによるGDP関連の議論は、ご都合主義で詭弁的なものとしか思えません。


>そして、「植民地主義」、「自由な市場による経済戦争」と仕方なくしたがってきた日本ですが、今度の外圧ばかりは日本の過剰労働問題と、世界での立ち位置を良くする従う価値のある物だという認識です。

日本を、主体性を永遠に持ち得ない、劣った存在であるかのように認識しようとする態度は、今後の日本を担うかもしれない(フランス人になられるつもりでしょうか?)若い学者さんにとってどうなんでしょう。

日本の過剰労働問題はどうにかすべきですが、これは外圧など関係なしに完全な内政問題として処理されるべき事です。それに日本の過剰労働は、健全な競争というよりも、責任のなすりつけや稚拙な経営手法によって生じてしまう部分も多いと思います。

また、日本の国際社会における立ち位置について。戦後の廃墟から奴隷的に働くことでのし上がり、先進諸国から働きすぎの「蟻」だの「ロボット」だのと罵られ(人種差別的だと思いませんか?)てきた後発の先進国として、新興国の立場に一定の理解を示し、いくらか擁護するという立ち位置を得る可能性は全くありえない事ですか?


最後に自由主義について。自由主義的な競争のもとで富を得た人たちの大部分は、しだいに多様な価値観を持つようになる、というのが私の観測です。せいぜい家庭菜園が趣味の怠け者の隣家に、野心にあふれ、決して諦めず生涯を通じて働きまくる者が住んでいるような状況があっても、別におかしくないだろうということです。

自由が常に過度の競争を引き起こすという信念はどこから来るのでしょうか。

Madeleine Sophie さんのコメント...

コメントありがとうございます。

まず冒頭の省エネルギー開発のくだりですが、納得しました。減速だけではく、開発を加速して問題を切り抜けるアプローチもあり得ると思います。

> 100億年の未来という例を持ち出したのは、100年後や1000年後の未来の世界という、現在から遠く離れた空想上のものでしかないものを持ち出しても、何にもならないという事を示唆するためです。(新)自由主義者の信奉者たちだって、せいぜい自分が生きている間か、子供たちの世代の事ぐらいしか考えてはいないでしょう。『怠け者同盟』というものは、今後1000年にわたって人類を律する何かであるという壮大な主張をされるおつもりですか?

100年や1000年は空想ではありませんよ。自由主義者も自分と子供をあわせたら100年ぐらいは考えていることになりますよね。空想的であることを強調するために10,000,000,000年後を持ち出されたのであれば、飛躍し過ぎと感じます。それこそ、僕には”ご都合主義で詭弁的なもの”に感じられてしまいます。なぜ100-300ぐらいで人が目指すべき社会を想像しないんでしょうかね。

> 日本を、主体性を永遠に持ち得ない、劣った存在であるかのように認識しようとする態度は、今後の日本を担うかもしれない(フランス人になられるつもりでしょうか?)若い学者さんにとってどうなんでしょう。

全然言ってませんよ。逆に日本人には底知れぬ可能性を感じています。既に強豪がひしめく世界に遅れて開国した150年後の現実を考慮して戦略を提案しているだけです。個人的には世界の強者と台頭に伍していくという気概は好きです。日本人として感心します。ただ、日本はフランスのように国連常任理事国ではないし、日本語はフランス語のように30カ国で話されていません。EU27カ国の指導的位置も占めていないし、核兵器もありません。他国に及ぼせる影響力は桁が違います。気概だけでなく冷静さをもって状況を分析し、一歩一歩着実に進むようにしたいですね。

> また、日本の国際社会における立ち位置について。戦後の廃墟から奴隷的に働くことでのし上がり、先進諸国から働きすぎの「蟻」だの「ロボット」だのと罵られ(人種差別的だと思いませんか?)てきた後発の先進国として、新興国の立場に一定の理解を示し、いくらか擁護するという立ち位置を得る可能性は全くありえない事ですか?

面白い戦略ですね。新興国はいつでも叩かれてきました。日本だけが例外ではありません。現在の新興国である中国はなんと言われていますか?「著作権侵害」、「劣化コピー製品」、「公害だらけ」、「無礼」などなど。オランダ、イギリス、アメリカと、どれも叩かれながら上ってきたのです。悔しくても焦ってはいけません。

> 最後に自由主義について。自由主義的な競争のもとで富を得た人たちの大部分は、しだいに多様な価値観を持つようになる、というのが私の観測です。せいぜい家庭菜園が趣味の怠け者の隣家に、野心にあふれ、決して諦めず生涯を通じて働きまくる者が住んでいるような状況があっても、別におかしくないだろうということです。

ちょっと曖昧ですが、なかなか面白い夢だと思います。

> 自由が常に過度の競争を引き起こすという信念はどこから来るのでしょうか。

各々が自由に振る舞って、競争がエスカレートしない例はありますか。ちょっと見当たらないです。

匿名 さんのコメント...

こちらが匿名という立場である以上、なるべく一方的に罵るようなまねは控えようと思っていたのですが、だんだん喧嘩じみてきましたよね。

>100年や1000年は空想ではありませんよ。自由主義者も自分と子供をあわせたら100年ぐらいは考えていることになりますよね。空想的であることを強調するために10,000,000,000年後を持ち出されたのであれば、飛躍し過ぎと感じます。それこそ、僕には”ご都合主義で詭弁的なもの”に感じられてしまいます。なぜ100-300ぐらいで人が目指すべき社会を想像しないんでしょうかね。

具体的に100年というところは本質的な部分ではないですよね。それはともかく、空想する以外に具体的になにができます?この変化が著しく速い現代社会において、100年や1000年後の未来の人間社会について、どのくらいはっきりとした展望が描けるかということを問題にしているんですよ。政治経済などの問題において各国が打ち立てる「長期戦略」というものが、具体的にどれくらいの期間を想定していると思います?

無駄なことや無意味であることを分からせるために、極端な例をもちだしただけです。本来の問題が何だったのか思い出してください。


>>日本を、主体性を永遠に持ち得ない、劣った存在であるかのように認識しようとする態度は、今後の日本を担うかもしれない(フランス人になられるつもりでしょうか?)若い学者さんにとってどうなんでしょう。

全然言ってませんよ。


はっきりとは述べてはいないだけでしょう。
具体的に「言っていない」とはどの部分についてですか?「主体性」の部分ですか、「劣った」の部分ですか?日本の「主体性」の部分については、かなり否定的な見解を述べていらっしゃいますよね。それに西洋的な価値観においては、主体性に欠いた存在というものは劣等であるとみなされがちだと思いますが。私の言説はそういった事実を汲んでのものですが、これは私の偏見ですか?


>各々が自由に振る舞って、競争がエスカレートしない例はありますか。ちょっと見当たらないです。

競争がエスカレートした悲惨な例が特に印象に残るだけで、競争がない状態は日常的にありふれたことだと思いますが。


このまま続けてもどんどん議論がわき道にそれていくばかりですよね。

Madeleine Sophie さんのコメント...

僕は喧嘩じみてるとは思いませんよ。そもそも自由も反自由も主張に思い入れはありませんからね。僕にとっては重要なのはどちらが日本にとって良いか、です。だから当面は自由主義で行って、世の中の趨勢をみて怠け者社会に移行すると言っています。

 独力で世界を変える力の無い日本は、外圧を待ちつつ、国内の産業の国際競争力を維持するために現状の自由競争路線を維持するのが、取りうる最善の策だと思います。

だんだん議論のタイムスケールの違いのような気がしてきました。そもそも100年スケールだったら、僕も日本においては自由主義でもあり得ると思うので。

> 具体的に「言っていない」とはどの部分についてですか?「主体性」の部分ですか、「劣った」の部分ですか?日本の「主体性」の部分については、かなり否定的な見解を述べていらっしゃいますよね。それに西洋的な価値観においては、主体性に欠いた存在というものは劣等であるとみなされがちだと思いますが。私の言説はそういった事実を汲んでのものですが、これは私の偏見ですか?

日本を、主体性を永遠に持ち得ない、劣った存在であるかのように認識しようとする態度”のうち、「永遠に」と、「劣った」というところは、僕の考えとは全く真逆です。主体性は重要ですが、それを完遂できる実力はまた別物ですからね。実力不足のところを指摘しています。例えば、アジアやアフリカをまとめて西洋の理念と真っ向勝負できる実力が日本にあると思いますか。僕は”現時点”で夢物語だと思います。

>競争がエスカレートした悲惨な例が特に印象に残るだけで、競争がない状態は日常的にありふれたことだと思いますが。

あると言っている側が例を出さないと議論が進みませんよね。

議論していてコメントの文章が非常に明晰で分かりやすいと思うのですが、もしかして自分の意見をWEBに上げたりしていらっしゃらないでしょうか?もしあれば拝見して、お互いの意見の溝を見てみたいのですが...このブログに通知したくないようでしたら、madeleine.sophie.0525@gmail.comに送ってください。そのURLを公開しないことと、メールを受け取った事実も公にしないことを約束します。

(朝の5時に起きていらっしゃるなんてすごいですね。海外在住でしょうかね。フランスでは現在10時になりました。)

yutakarlson さんのコメント...

■【09衆院選】民主に「不安」、自民に「不満」 全国知事会―日本の社会問題を解消し、先進国の社会モデルをつくろう!!
yutakarlson
yamada.yutaka@gmail.com
http://yutakarlson.blogspot.com/2009/08/blog-post_07.html
こんにちは。全国知事会は、橋下徹大阪府知事が掲げる「政治闘争」も影響したのでしょうか、これまでは陳情のイメージがあった地方側の国(党)への姿勢が、攻撃的になったことを感じさせました。私は、地方分権は、実はかなり本質的な問題だと思っています。海外でも、先進国は、日本と比較すれば、地方分権が確立されていますし、地方では民営化が進んでいます。それと、日本で流行ともなっている、社会貢献消費が、日本という社会の特殊性に向かい地方分権と統合された動きとなれば、すばらしい一大ムーブメントになる可能性が大です。そうして、新しい先進国のモデルをつくることができれば、実体経済もかなり良くなると思います。ここに書いていると長くなってしまいます。詳細は是非私のブログをご覧になってください。

匿名 さんのコメント...

>議論していてコメントの文章が非常に明晰で分かりやすいと思うのですが、もしかして自分の意見をWEBに上げたりしていらっしゃらないでしょうか?もしあれば拝見して、お互いの意見の溝を見てみたいのですが...

正直言ってこれは少し困ります。匿名と言う立場を利用して申し上げますと、私は現在、情緒不安定(というか、うつ病)で療養中の身です。ブログで自身の意見を述べたりとか、メールで特定の個人と定期的なやりとりをするということでさえ、負担になるときもあります。本来、対等な条件で議論すべきなのは分かりますが、気ままに行動する以外のことはできそうにないのでご勘弁下さい。

別のエントリでも皮肉交じりの発言や攻撃的な態度をとってしまいましたが、「公共の場で論説を打つつもりであらば、野次や煽りは覚悟の上」というのが社会の常識かと思われますのでご容赦下さい。今の私には到底耐えられませんが…


>実力不足のところを指摘しています。例えば、アジアやアフリカをまとめて西洋の理念と真っ向勝負できる実力が日本にあると思いますか。僕は”現時点”で夢物語だと思います。

日本にそんな実力はないということは理解しています。ですが私は、これまで国内外の有識者たちからだされてきた「日本論」が、日本人たちの中に浸透し、それが足かせとなって結局何も変わらないという事態に陥っているのではないかと危惧しています。結論や現状がどうであれ、「日本の今後」をひとつのエントリとして扱うということであれば、型にはまらず様々な(願望に過ぎないかもしれない)選択肢を提示した上で結論に達するという展開を私は期待していました。


>>競争がエスカレートした悲惨な例が特に印象に残るだけで、競争がない状態は日常的にありふれたことだと思いますが。

あると言っている側が例を出さないと議論が進みませんよね。


より具体的な状況を想定しないと話は進まないと思います。

まず、本来「利潤の追求」を行動原理として動くとされる企業が競争を放棄する例としては、カルテルの形成や談合による持ち回しなどの、協調することである程度の利益を確保するという事例が挙げられます。このような「利潤」といったはっきりとした目的を持つ集団では、競争がエスカレートすることの方が前述の特殊な例より多いことは認めます。しかし、健全な競争とは言いがたく、利潤が減少し自身の体力を消耗するかもしれないような、異常あるいは非合理的な競争が実際どの程度起きるかということについては、漠然とした印象しかないので答え難いです。

逆にあまり目的意識がはっきりとしない集団の例では、抑圧的な高校で激しい競争を行っていても、自由な大学に入ったとたん競争を放棄してしまうという事例があります。

自由が過度の競争にそのままつながるというよりも、各個人の意識や周囲からの競争への圧力の存在などに大きく依存すると思います。

なんだかかなり混乱してきて、私が本来の意味をとり違えているような気もします。おそらく、「自由主義」という概念の意味のとり方や物事の考え方、これまでの経験や持っている知識、世界観や理想など、根本的な所でかなりの相違がありそうで、議論が本質的でない部分に向かいがちな印象を受けます。


とにかく大きな溝を埋めるために、自分のことについていくらか話します。(私的なことですみません)

私は若い頃から、上司に押し付けられた価値のない仕事を淡々とこなし、せっせと働くというようなサラリーマン人生を送る気などほとんどなく、自身が価値があると思えることに人生を費やそうと考えていました。

それで一時期は野心をもち、物事に没頭していたのですが、ドロップアウトしてしまい、しばらくボランティア的な活動を行ったり、独学で何かを学んだり、社会の底辺を漂ったりしてきました。

現在は少しばかり仕事をこなしながら社会復帰を目指しているのですが、経済的自立や人生設計とかいうことを考えた上で仕事を選ぼうとすると、ここ日本では今の自分にとってかなりきつい労働条件を飲まざるをえないようで、不安がつのりなかなかうまくいきません。

ここまでの話を聞くと、きっと私は本来、Madeleine Sophie さんの意見に真っ先に賛同の意を表すべき人間にしか見えないのですが、なんだか釈然としません。

原因のひとつは「自由」というものが攻撃を受けていると感じられることだと思います。私の見方では、自由主義社会においても、自由を得るに充分に値しない人々に対する、自由の制限は当たり前に行われてきました。判断力などに欠いた児童には義務教育という強制労務がありますし、法を犯す不道徳な人間は自由を奪われ、刑務所で矯正を受けなければなりません。結局、自由主義社会で問題が生じた場合は、それを起こした人間の資質をまず問うべきで、社会が問題を抱えているのであれば、基本的に教育のあり方を見直すべきという強い(理想主義的な)考えが背景にあるのでしょう。西欧ではもうとっくに古い考えであるか、異端であるのかもしれませんがどうなんでしょう?


それともうひとつ、どこかで「自由の押し付け」という言葉が出てきたと思いますが、これにも奇妙な印象を受けます。「押し付け」とは「抑圧」の一種で、これは「自由」に対するほぼ対義語といってもよい言葉ではないでしょうか。このため、「自由の押し付け」という一文はなんだか自己矛盾をはらんだ印象を受け、これを聞くと思考停止に陥ってしまいます。


随分長い話になってすみません。

Madeleine Sophie さんのコメント...

yutakarlsonさん、

ブログ拝見しました。今、日本の政治は転換期にありますよね。民主党政権も安定しないと思いますが、不安定なままでいろいろと模索していくのが日本のためにも良いと思います。

Madeleine Sophie さんのコメント...

匿名さん、

個人に関する情報ありがとうございます。そういうことでしたら、どんな名前でも良いので自由に書き込んでください。

> 別のエントリでも皮肉交じりの発言や攻撃的な態度をとってしまいましたが、「公共の場で論説を打つつもりであらば、野次や煽りは覚悟の上」というのが社会の常識かと思われますのでご容赦下さい。今の私には到底耐えられませんが…

これは、そうかも知れませんが、反論する論理がないコメントには僕にも相手にしない権利もあるはずですよね。最近よく聞く「スルー力」というやつです。

> 日本にそんな実力はないということは理解しています。ですが私は、これまで国内外の有識者たちからだされてきた「日本論」が、日本人たちの中に浸透し、それが足かせとなって結局何も変わらないという事態に陥っているのではないかと危惧しています。結論や現状がどうであれ、「日本の今後」をひとつのエントリとして扱うということであれば、型にはまらず様々な(願望に過ぎないかもしれない)選択肢を提示した上で結論に達するという展開を私は期待していました。

確かにいつでも強者におもねることが賢いわけではありませんよね。日本に害がある外圧だったらなんとかしてそれをはねのける手段を考えますが、今度の場合は日本に利益があると考えているので、あえて外圧を許容する方向で考えていました。

> より具体的な状況を想定しないと話は進まないと思います。
> まず、本来「利潤の追求」を行動原理として動くとされる企業が競争を放棄する例としては、カルテルの形成や談合による持ち回しなどの、協調することである程度の利益を確保するという事例が挙げられます。このような「利潤」といったはっきりとした目的を持つ集団では、競争がエスカレートすることの方が前述の特殊な例より多いことは認めます。しかし、健全な競争とは言いがたく、利潤が減少し自身の体力を消耗するかもしれないような、異常あるいは非合理的な競争が実際どの程度起きるかということについては、漠然とした印象しかないので答え難いです。


確かに得られる利益と、投入する努力とのバランスで競争のエスカレートはいつか止まります。怠け者同盟の社会は人類の未来の入学試験の例では、「四合五落」というぐらいで競争のエスカレートは4時間睡眠で止まっているわけです。どの受験生もそれ以上睡眠を削ると健康に悪いことを知っているわけです。しかし、適正な睡眠時間である8時間で競争を維持するのは、受験生の自由にさせておいたのでは無理ですよね。皆が健康に競争するための強制ルールなのです。

> ここまでの話を聞くと、きっと私は本来、Madeleine Sophie さんの意見に真っ先に賛同の意を表すべき人間にしか見えないのですが、なんだか釈然としません。

これは興味深いですね。

> 原因のひとつは「自由」というものが攻撃を受けていると感じられることだと思います。私の見方では、自由主義社会においても、自由を得るに充分に値しない人々に対する、自由の制限は当たり前に行われてきました。判断力などに欠いた児童には義務教育という強制労務がありますし、法を犯す不道徳な人間は自由を奪われ、刑務所で矯正を受けなければなりません。結局、自由主義社会で問題が生じた場合は、それを起こした人間の資質をまず問うべきで、社会が問題を抱えているのであれば、基本的に教育のあり方を見直すべきという強い(理想主義的な)考えが背景にあるのでしょう。西欧ではもうとっくに古い考えであるか、異端であるのかもしれませんがどうなんでしょう?

確かに自由の制限は、懲罰的に使われている面もあるので、真っ先にそういったイメージを持つのも分かります。ただ労働の自由の制限の場合は、制限することによって自由に休暇を取る自由が確保されるんですよね。今主流の考えの反対なので、反自由という書き方をしているのですが、過剰な労働から解放されるとも言えます。

>それともうひとつ、どこかで「自由の押し付け」という言葉が出てきたと思いますが、これにも奇妙な印象を受けます。「押し付け」とは「抑圧」の一種で、これは「自由」に対するほぼ対義語といってもよい言葉ではないでしょうか。このため、「自由の押し付け」という一文はなんだか自己矛盾をはらんだ印象を受け、これを聞くと思考停止に陥ってしまいます。

自由の押し付けはわざと矛盾ぽい言い回しにしてみました。自由は何でも自由なのではなくて、「働く自由の押しつけ」と意味を限定してみると分かりやすいかもしれません。「自由に制限無く働いてください」と押し付けられるわけです。働かなければいけない理由は、後からいくらでも付けられますからね。職が見つからない人や、お金に困っている人は、働かない自由の方は取れないわけですから。

それも「染み付いた自由幻想を捨てて自由に発想しよう」もわざと自由を二つの意味合いで使ってるんですよね。分かりにくいかもしれませんが、面白いかなと思って書いているだけなので....

最後に、議論は興味深いのですが、次から少しコメントを省略するかもしれません。次のエントリを書く時間が無くなってしまいます(笑)。コメントは読みますので。

Michi さんのコメント...

エントリーとコメントを興味深く拝見しました。大枠の話は賛成しますが、日本はどうしたら・・の部分で、「外圧を待つ」というところが、私はちょっと違う考えです。「パラダイス鎖国」の本の中にも書いたように、もはや日本は「外圧」をかけて『もらえる』存在ではなくなっていて、待っていてもいつまで経っても、外圧は来ないと思うのです。

80年代の経済摩擦は、日本の企業が盛んに外に出ていたから起こったのですが、今はいくら国内で劣悪な環境に耐えて働いても、人のコスト面では中国やインドに勝てないし、一方、優秀なブランドを擁して高付加価値製品で競争するという点では、欧州(その点では、EU統合がじわじわと成功しているのかも)と米国にまんまとやられて、徐々に力を失いつつあります。

まさに仰るように、例えば「アップルの作った枠組みの中で、そのスペックにあわせて優秀な部品を供給する」ならば日本企業は優秀ですが、そのレベルに押し込められてしまったような気がするのです・・つまり「左ウチワが可能=高付加価値社会=怠け者同盟」からはじき出されており、その構造は他の先進国からすると安心な構造なので、日本をそこに押し込めておくほうがいいわけです。

ということで、もし劣悪な労働環境を打破して、高付加価値社会=怠け者社会を実現したければ、自力でやるほかはない、と思うのでした。

Madeleine Sophie さんのコメント...

Michiさん、コメントありがとうございます。

怠け者同盟の社会が働き者の社会に対抗する手段で述べたように、怠け者同盟は、働き者たちに対抗するために同盟を大きくすることに熱心です。グローバルな競争を抑制することが、彼らの利益になると信じているからです。GDPでは未だに一定の割合を占めている日本は、引き込めば怠け者同盟にとっては大きなチャンスと写るわけです。日本にも”怠け者同盟に加入するお誘い”は遠からずかかると思います。

> 80年代の経済摩擦は、日本の企業が盛んに外に出ていたから起こったのですが、今はいくら国内で劣悪な環境に耐えて働いても、人のコスト面では中国やインドに勝てないし、一方、優秀なブランドを擁して高付加価値製品で競争するという点では、欧州(その点では、EU統合がじわじわと成功しているのかも)と米国にまんまとやられて、徐々に力を失いつつあります。

これは確かに今の日本の苦しさですね。怠け者同盟の社会が良いと言っても、日本が怠け者の社会にすぐに移行できない理由ですよね。

>まさに仰るように、例えば「アップルの作った枠組みの中で、そのスペックにあわせて優秀な部品を供給する」ならば日本企業は優秀ですが、そのレベルに押し込められてしまったような気がするのです・・つまり「左ウチワが可能=高付加価値社会=怠け者同盟」からはじき出されており、その構造は他の先進国からすると安心な構造なので、日本をそこに押し込めておくほうがいいわけです。

ちょっと怠け者同盟の定義が違って、怠け者同盟はお互いに怠けるために競争を避けた社会と定義しています。それでもこの問題意識は非常に参考になります。競争の枠組みを作る国に住んでいる方から見える日本の弱さですね。すぐにいい方法は見つかりませんが、常に考えておきたい問題意識です。

匿名 さんのコメント...

>最後に、議論は興味深いのですが、次から少しコメントを省略するかもしれません。次のエントリを書く時間が無くなってしまいます(笑)。コメントは読みますので。

私のほうでもちょうど、一晩中モニターに張り付いたりする悪い癖が出てきてしまったため、しばらく何も考えない生活に戻る必要性を感じています。

気が向いたらまたかみつきにでも来ます。それでは。

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