2009年7月15日

過去の対立を越える方法における日仏の違い


Paris, France
7月14日はフランスでは「14 Julliet」といって一番特別な祝日になっています。バスティーユ監獄を襲撃した日を記念した行事で日本語ではなぜかパリ祭と訳されています。朝からシャンゼリゼ通りで大統領の前で軍事パレードが行われるのですが、最近は友好各国の部隊も招待されるようになっています。例えば、去年は初めて国連平和維持活動(PKO)に従事している日本の自衛官が参加しました。この話を同僚とした時に、遠くの国からも参加があることにかなり驚いていました。

フランス生活情報 フランスニュースダイジェスト - 自衛官が仏革命記念日パレード初参加へ - 7月11日
フ ランス革命記念日の14日にパリのシャンゼリゼ通りで行われる恒例の軍事パレードに、国連平和維持活動(PKO)に従事している自衛官4人が参加するこ とが10日分かった。パリの日本大使館や日本防衛省が明らかにした。防衛省によると、同パレードで自衛官が行進するのは初めて。(共同)
他国の軍隊を7月14日に呼ぶ試みは、少し前から始まったようです。同僚によると、はじめはドイツの軍隊を招待するところから始まったそうです。これは、はじめはフランス人に根強い過去のトラウマから、心情的には難しかったそうです。ドイツ軍のシャンゼリゼ通りにおける軍事パレードは、第2次世界大戦のパリ陥落を強く思い出すからだそうです→ナチス・ドイツのフランス侵攻 - Wikipedia

ドイツ軍の侵攻により占領下に置かれ祖国を失ったことを嘆いているパリ市民

エッフェル塔を背後にしたヒトラーと親衛隊
第1次、第2次世界大戦と常に敵同士だったフランスとドイツは、相手の軍事力によって荒廃し、親族のうちにも相手国に殺された人々も多かったでしょう。恨みの連鎖を断ち切るのは難しかったでしょう。相手の国を叩けば自国が繁栄するというゲームのルールを、相手国と共に繁栄するルールに転換するのは、よほどの根性が必要です。紆余曲折ありながら、結局はドイツとの和解の道を選んだフランスはやはり正しかったように感じます。

仏独の和解


1984年9月22日、第一次世界大戦の激戦地の近くDouaumontにて(参照














仏独の和解がEUの基礎を作り、EUからヨーロッパの各国が利益を得るという未来を描いた仏独の政治家と、その利を悟った仏独の有権者は賞賛に値すると思うのです。そして、EUを指導すると自認するフランスは、仏独和解を世界にアピールすることに力を注いで来ました。それが、7月14日の軍事パレードにドイツも招待すると言う行動につながったんだと思います。フランス人はドイツを許せないという感情と未来の繁栄のためにドイツの力が必要だと言う論理の折り合いをつけてきた歴史があります。

仏独和解と日米和解の違い

対戦国との和解によって、戦後の繁栄をつかんだという点では日本にも類似しています。しかし、日米の協調は、感情面を未来志向の論理で押さえ込んだ独仏のような和解でないような気がします。東京大空襲や原爆投下の論理的な解釈を引っ込めて過去を水に流し、アメリカとの関係を最重視してやってきたのが戦後の日本でした。そのためには、割り切れない感情を論理で解決するのではなくて、割り切れない感情をアメリカが好きと言う感情で上書きしてきたのではないでしょうか。実利本位で物事を解決できる日本人らしい解決方法のように感じます。

その結果、フランスはドイツと共に繁栄したにもかかわらず、フランス人でドイツが好きと言う人は驚くほど少ないのです。2年ほどフランスにいますが、聞いたことがありません。僕がドイツに旅行したときには、「なんで?」と聞かれました。「オクトーバーフェストだよ」というと納得しましたが。他の留学生もドイツに行くときに「なんで?」と聞かれていて、「姉がいる」と答えていました。少なくとも、フランス人はドイツが好きという感情で和解をしたわけではないことは確かです。翻って日本はアメリカが大好きな人であふれています。論理で感情を克服した仏独と、感情自体を変えた日米の和解の違いがあると思います。

2 comments:

花園 祐 さんのコメント...

 よくわかったようなふりする人が仏独の戦後の関係修復に対して日中関係は悪いままだといいますが、この記事でもそうですし私が聞いている話でもフランス人とドイツ人はいまだに仲が悪そうですね。もっとも、政治や経済的な棲み分けは仏独の方が進んでいそうですが。

 あとこの記事を読んだ第一印象として、対戦国であるこの二国が戦後に仲が悪くなったのはやっぱりアメリカの存在が大きいと思います。「敵の敵は味方」というのは単純すぎかもしれませんが、アメリカ抜きではここまで関係修復はできなかった気がします。日本と中国も、ソ連という相手国がいたからこそ国交回復ができましたし。

 あとOperaからのコメントですが、ちょっとパソコンの方を入れ替えたらまたできるようになりました。前は「コメントの記入者」の欄が潰れたままで選択できずにコメントできませんでしたが、今日やってみると画像がすべて開き終わったらようやく選択できるようになっていました。

 またコメント欄で申し訳ないのですが、フランスでの「ベルサイユの薔薇」の評価なんてどんなもんでしょうか。最近読み出してなかなか面白いと思っている作品なのですが。

Madeleine Sophie さんのコメント...

花園さん、

やはり仏独の和解は感情はそこまで付いてきていないというか、理性的な感じがしますね。戦後間もなくは、共産主義の脅威の前に資本主義連合がまとまったという面があるかもしれません。時代が下がって現在は、アメリカの超大国化がヨーロッパの影響力を低下させているという危機感が、仏独の協調につながっているかもしれません。反共、アメリカへの警戒感のどちらをとってもアメリカが仏独の関係に与えている影響は大きいですね。

このコメント欄は、ひょっとして訪れた人がコメントをしやすいかと思ってやってみてるのですが、コメントが増えた感じはしませんね。。。やっぱり元に戻そうか、考えてみます。

ベルサイユの薔薇は日本通のフランス人はだいたい知ってますね。昔は、Lady Oscarと言ったらしく、そっちの方が通じる場合もあります。英語やフランス語でこの話題をする時は、「Lady Oscar」と、「The Rose of Versailles」の両方を言ってみた方が良いと思います。

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