2009年6月6日

経済危機とビジネスエリート(MBA)


Versailles, France
2006年にハーバードビジネススクールでMBA取得した人が、経済危機を回避できなかったことでMBAを批判していました→「金融危機の真犯人を育んだMBAの罪:日経ビジネスオンライン」。エリートの位置づけとして、最近書評した「[書評] エリートのつくり方―グランド・ゼコールの社会学」で”自身が万人に与え難い高度な知識を得ることは、市民の代表としてその知識を得ることと捉え、その知識を社会に還元する義務を負った考える”という視点を得たので、これを元にエリートの位置づけを考えていこうと思います。

まず、MBAに寄せられる批判として、以下のようにまとめられています。
金融危機の真犯人を育んだMBAの罪:日経ビジネスオンライン
ビジネススクールがビジネスの行動規範を作り出し、学生を教育しているのは、ほんの一握りのエリートだけが潤うためなのか、それとも多数の人が潤うためのものなのか?

社会から課せられた経済的な役割を、大多数の人の役に立つために行使しているのか、それとも自分たちだけのものにしようとしているのか?
これは、すべての人に施し難い高度な知識を得た人が、その知識を独占し個人の栄達のために使うのか、それとも、その教育を受けられなかった大衆にも有益になるように使うのかということが問われています。[書評]では、すべての人が得ることができない高度な知識を獲得する立場に立ったものは、市民を代表して知識を受ける代わりに、それを全体の利益にもなるように行使する義務を負うという見解が示されていました。このような視点に立つと、率先して未来を思考し、未来を構築しなければならないMBAのエリートがそれをできなかったことが全員に分かってしまったのは、致命的でした。
ビジネススクールにとっての悲劇は、バブルが悲惨なまでに拡大している間、経済システム全体の再構築をすべきという批判の声を上げなかったことだ。グローバル経済に関する彼らの専門的で独立した思考が求められていたまさにその時、彼らは声を失っていたのである。

彼らはビジネス界の知的リーダーとして活躍するのではなく、従属者のように語り、行動した。経営学者はビジネスの理性や良心を体現することもなく、目の前に広がる不穏な出来事について批判する意志もなく、哲学的に思考する力にも驚くほど欠けていることを露呈した。
このエントリに対する在学生の方々の意見を聞いてみると、MBAはそんなに大したものではなく、経済危機を回避させるほどの力は無いと書かれています。

LBS | 経営コンサルタントのLondon留学: 金融危機の真犯人を育んだMBAの罪?
MBAって、そんなタイソウなものだっけ?

[MBA受験]MBAへの幻想を捨てる 遅咲きの狂い咲き (Oxford MBA編)/ウェブリブログ
うーむ、言っていることは真実だと思うが、逆に言えばビジネススクールに過度に期待しているような気もする。
実際にMBAで学んでいる学生がいきなり経済危機を防ぐ役割を負わされそうになる時の反応としては、正直なものなのだろうと思います。どんなに高度な知識を動員しても不可能なことはあります。経済危機を未然に防ぐなどの言うのは、未だに人類が達成できていない夢だと言うことは言えるか知れません。しかし知識を動員しても不可能ということは妥当だと言えるかもしれませんが、間違いを回避する義務も無いという意見には、違和感を感じます。ビジネスに関する最も高度な知識を持つ人たちに、世界の間違いを正す気がないのは残念です。以下の引用では、MBAの知識を持つ人た達が便利な道具と例えられています。これは、まさに”彼らはビジネス界の知的リーダーとして活躍するのではなく、従属者のように語り、行動した”という批判がそのまま当てはまる気がします。
あくまでも、MBA教育は、リーダーやマネジャーを“支援”するのがその本来のミッションです。たとえば、マイクロソフトのWordは、ドキュメンテーションを“支援”してくれる有用な手段です。しかし、だからといって、仮に、作成した文書に間違いがあったとしたら、Wordが悪いのでしょうか?Wordはその間違いを防ぐ責務を負っていたかというと、少し疑問符。(金融危機の真犯人を育んだMBAの罪?
最も高度な知識を持つ人たちは、それを受けられない市民を代表して高度な知識を得たと捉えられます。そして、その点でリーダーとなるべき義務を負っていると考えられます。やはり彼らは、便利な道具とは違いその分野のリーダーとして率先して意見を表明すべきだったと思います。

最後に、冒頭で引用したエントリでは、MBAの信頼を取り戻すには、エリートはその知識を独占して個人的な栄達を目指すだけではなく、すべての人の利益になることを示すべきという認識が表明されていました。さすがに失敗から学ぶ力がある優秀な人たちだと感じました。
ビジネススクールは、世間一般からの信認を回復することから着手しなければならない。自由市場主義がごく一部の人のためだけでなく、すべての人の利益になり得るものだということを示すべきだ。

2 comments:

AK さんのコメント...

こんにちは。エントリーをご紹介頂きありがとうございます。
ただ、「間違いを回避する義務も無いという意見」を述べているわけではないので、ちょっと意見を言わせていただきますね。

僕は「ビジネススクール」と「MBA生」を分けて考えた上で「実業界の後追いをしているビジネススクールにはそんな力がない」と書いています。そして、絶対的な力を持たない学校に、リーダーになる気概がない人がふらっと入学しても何も変わらないよ、とアプリカントの方に警報を鳴らしています。

幻想を捨てよ、と言っているのは、学校には世界を変える力がない、リーダーをゼロから作る力もない、力を持ちうるのは学校ではなく(気概を持った一部の)MBA生そのものだ、というスタンスをとっているからです。ただ卒業生と言っても平均的には20代後半の若者、卒業してすぐに世の中を変えられるわけではないけれど、確かな気概を持って世界を変えるべく将来活躍してほしい(活躍したい)と考えています。ビジネススクールにはそうした「将来の」リーダー育成を支援する力はあるとは思うけれど、やっぱりツールでしかなく、現在進行形で影響を与える力もない。「変えるのは学校ではなく俺たちだ」という思いがあるので、ここに述べさせていただきました。

(もちろん入学しただけでリーダーとしての妙な特権意識を持つべきではないというのは明白です。だからこそ入学前から深く考えてほしい、と思っている次第)

一応僕自身がOxfordにいるのは、アメリカ式の「利益最大化」を是としたMBAに疑問を持ち、「誰のための利益か」「最高級のビジネステクニックを世界の諸問題を解決するためにどう活用するか」という、アメリカ式MBAのある種アンチテーゼとして存在しようとしているOxfordの価値観に魅かれたためでもあります。

過去のエントリーを少しだけ読ませていただきましたが非常に芯が太いエントリーを書かれていて大変おもしろいです。何かの縁ですし、今後も楽しく読ませていただきますね。

Madeleine Sophie さんのコメント...

AKさん、コメントありがとうございます。

MBA生にたいして、世の中を良くする気概を持って入学してきてほしいという思いと、MBAに対する過度の幻想を捨てるべきだという意見はもっともだと思います。

そちらのブログを批判的に引用させてもらい、失礼しました。このエントリはそちらのブログのエントリを批判することが目的ではなくて、MBAを始める人にも「[書評] エリートのつくり方―グランド・ゼコールの社会学」で目にした「知識の寡占と大衆の利益」という視点を持ってほしいと考えたからです。また、「知識の寡占と大衆の利益」が頭に残っている間に、「自由市場主義がごく一部の人のためだけでなく、すべての人の利益になり得るものだということを示すべきだ」という日経ビジネスの類似の結論を目にしたので関連させてエントリを立てようと考えたのです。

アメリカと欧州大陸の中間に位置するOxfordは面白い立ち位置かもしれませんね。これからもどんどん興味深い情報を発信されることを期待しています。

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