2009年6月26日

[書評] 「日中友好」は日本を滅ぼす!歴史が教える「脱・中国」の法則

「日中友好」は日本を滅ぼす! 歴史が教える「脱・中国」の法則中国に近づくと国が乱れ、中国と断交することで繁栄する日本の法則を解き明かそうとする本でした。このブログには、「日中友好の重要性」というエントリもあるので、どんな風に反対のことを書いているのかちょっと見てみようと思って、手に取ってみました。中国人はモラルがなくて、盗人で、ずる賢くて、腹黒でいつも日本を攻撃しようと狙っているので、アメリカと組んでつぶした方が良いみたいな話だったら、読む価値もないと思いましたが、本書には耳を傾けるに足ることが書かれていました。まず、本書を特徴づける要素として、この本が他ならぬ中国人の手で書かれたことが挙げられます。著者は、本が書かれた2005年当時には中国人で、2007年に日本に帰化したそうです。

日本は中国に「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す、つつがなきや」で始まる国書を贈ったことに始まり、中華文明からの離脱を図りました。
日本の大和朝廷から、推古女帝を「日出づる処の天子」と称して出された一通の国書は、このような中華世界の独善的イデオロギーに対しての挑戦を意味する。つまり、「そちらが天子であれば、こちらも天子じゃ」という内容なのである。(p.26)
それ以来、中国に近づくと国が乱れ、中国と断交することで繁栄するという例は驚くほどたくさんあげられています。前者の例は、白村江の戦い、豊臣秀吉の朝鮮出兵、満州国や大東亜共栄圏などの失敗で、後者の例は、江戸時代、脱亜を目指した明治初期、戦後復興期などの成功です。こういった背景を踏まえた著者の主張は、2004年にはやった「政冷経熱」をもじった「経温政涼」だそうです。経済は、中国の発展期待に入れ込みすぎて中国進出ブームに乗るのではなく、もう少し冷ました関係、政治は日中友好でもなく反中でもないクールな関係だそうです。
「経温政涼」こそが、今後の日中関係に向けて提言したいキーワードである。(p.218)
中国との良好な関係がなければ、今後日本はやっていけないという幻想は捨てるべきだとしています。その根拠は、戦後の経済成長は中国と断交していた期間に達成されたことです。中国の市場に入れ込みすぎた場合の日本の将来を、「満蒙は日本の生命線」と煽りながら中国と関わっていった日本と重ねています。
「13億市場」という途方もない夢に日本経済の未来を賭けて良いのだろうか。ここで想起すべきは、戦前の歴史である。昭和初期の日本は、「満蒙は日本の生命線」という熱い信念に駆り立てられて亡国への道を突っ走っていったのではなかったか。(p.201)
台頭する中国と健全で対等な関係を維持するために、過去の大和朝廷の仏教戦略にならうというのは面白いと感じました。
「随王朝の天使様が仏法を興すのに熱心であると聞き、わが朝廷は私を使いとして遣わした」と言うのである。(p.38)
日本使節の口上の背後に隠れた、大和朝廷の対中国戦略思考の一端が看て取れるであろう。それは、普遍性のある仏教と言う世界宗教のなかに身をおくことによって、中国文明ならびに王朝の権威を相対化し、中国と対等の外交関係を確立していく、というものである。太陽のごとくこの世界を偏り無く照らしている普遍的「仏法」のもとでは、中華王朝と大和朝廷の間、中国大陸と日本列島との間には優劣も上下もない。どちらかが「中心」か「周辺」かということもない。あるのはただ、同じ仏法の信奉者としての対等な関係のみである。(p.39)
かつて大和朝廷は「仏法」という普遍原理に身をおくことで、巨人・中国帝国と対等の立場に立った。同様に、今後の日本は、アジアで最初に議会政治を実施した民主主義国家として、民主・自由・人権という現代、未来にわたるもっとも普遍的な原則を堅持することで、より健全な日中関係を構築できるのではないだろうか。(p.218)
その当時に世界宗教だった仏教を国の中心に据えることで、仏教の論理を使って日本と巨大な中国が対等な位置に立つ戦略です。日本と中国との力や大きさなどの関係を超えた論理に身をゆだねて、論理で対等にたつ戦略は今でもそのまま使えると感じます。例えば、現代の論理で言うと、仏教は民主・自由・人権と言い換えられます。人権だろうが、仏教だろうがその時代には流行している普遍的価値観をもつ物語という視点で考えると同じです。この論理にたって誰が見ても妥当な主張を使い、同じ土壌にのぼることは日本のとりうる最良の選択であるように感じました。

最後に、本書の趣旨は、本ブログの「日中友好の重要性」で述べた、中国がかつての自信を取り戻し、繁栄し、誇りを持った大国として存在するのは日本の利益になることだという考えと、相反するのもではないと感じました。中国に特別に入れ込みすぎないことと、中国が誇りある大国になるために手を貸すことは対立しないからです。「日中友好の重要性」の主張は、余裕がありおおらかな大国中国は、ひいては日本の利益になるということを言っただけで、何も無条件で中国を助けると言ったわけではなかったのです。
「日中友好」は日本を滅ぼす! 歴史が教える「脱・中国」の法則 石 平 (著)

プロローグ 中国に近づくと、必ず「国乱れる」日本史の法則
第1章 「脱・中国」から始まった日本民族の国造り
第2章 仏教に隠された大和朝廷の対中国=世界戦略
第3章 中華を超えて、独自の「日本文明」が誕生
第4章 「脱亜入欧」による明治国家の自立
第5章 満州は本当に日本の「生命線」だったのか
第6章 戦後の経済成長は中国なしで成し遂げられた
第7章 二つの「聖域」で対立せざるをえない日中の宿命
第8章 中国経済は日本の救世主となれるのか?
第9章 やがて始まる、米中「最終対決」の時代
最終章 日本および日本人へ贈る、三つの提言

「反日」暴動は歴史からの警告だった! 中国と深いつながりをもった時代は「激動の戦乱」、交渉を中断した時期には「繁栄」を享受してきた。古代史以来の「中国文明コンプレックス」がハラリと落ちる、衝撃の日中関係史。

飛鳥時代から江戸時代に至るまでの、日本の「治」「乱」の変遷をこう見てみると、やはり、日中関係の深さに関連するように思えてならないのである。天智天皇の近江朝廷、清盛の平家政権、秀吉の豊臣政権、中国と深く関係した政権はことごとく短期間で崩壊したのに対し、中国と没交渉か関係の薄い平安時代、江戸時代において、日本史上もっとも平和な“繁栄の時代”を享受できたのはなぜだろうか。近・現代史においても、この不思議な関連性がはっきり見て取れる。……昭和20年の終戦から47年の日中国交回復に至るまでの27年間、日本はふたたび中国大陸と隔離された関係にあった。そして、この期間、日本は驚異的な高度経済成長を成し遂げ、戦後の繁栄を築き上げる“黄金の時代”となった。これは一体、どういうことだろう。

石平 (セキ ヘイ)
1962年、中国四川省に生まれる。1984年、北京大学哲学部を卒業。四川大学哲学部講師を経て1988年に来日し、神戸大学大学院文化学研究科博士課程修了。1995年より民間研究機関に勤務の後、日中問題研究家として執筆・翻訳活動を展開している(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

2 comments:

ウィロウ さんのコメント...

はじめまして、大学で東洋史学を専攻しているウィロウともうします。

ブログは最近から読まさせていただいており、広い知見、客観的な現状分析、さまざまな提言には頭が下がります。

この本に関して感じたことを書かせていただきます。

まず「中国に近づくと国が乱れる」と書いてありますが、ここに書かれている例はすべて中国と対立しているのであって「近づいた」と表現をするのはおかしいのではないでしょうか?対立し結果敗れて国が乱れ、それを中国の責任にするのは誤りなのではないでしょうか?

さらに「遠ざかってる」期間は繁栄するということでしたが、ここに出されている例を検討してみると、明治初期や高度成長期はともかく、平安時代や江戸時代が繁栄したのはその前の時代に中国から文化を吸収し、それを国内で独自に発展させたからであり、これらに時代が繁栄したことを理由に中国と近づくべきではないと結論付けるのはどうかと思います。

またこの説ではヤマト政権誕生以前や戦国時代の混乱を説明できてないと感じます。

さらに海域アジアという海から見る国家間交流を勉強している自分としては、例えば常に中国や朝鮮半島と密接な関係があった九州や、他の東南アジア国家は常に乱れ続けてはいないということも主張させていただきます。

利彦 さんのコメント...

石平のような中国と友好関係を否認する帰化人は日本人は大歓迎でしょうね。日本人のこころをくすぐっているのでしょね。まあ、それはそれでいい。日本人はすぐ側にいる隣人が大嫌いので友好しなくてもいいと思います。海を越えるアメリカとヨーロッパの国々と友達になればいいと思います。友達選びぐらいの自由と自主性があってもいいでしょうね。ただし、北朝鮮からなにかの威嚇があらわれたら、遠いところからの水は近いところの火事にはやくただないことを承知したうえの選択にしましょう。(諺:「遠水は近火に救えず「)

コメントを投稿