2009年6月20日

[書評] 高校生が感動した「論語」

高校生が感動した「論語」 (祥伝社新書)このブログでは佐久先生の書評第三弾です→[書評] ビジネスマンが泣いた「唐詩」一〇〇選[書評] これが中国人だ!―日本人が勘違いしている「中国人の思想」。古典は本来、時代や個人に即した解釈が許されるはずであるのに、論語は聖典とされるあまり、教条的に扱われすぎてきたので、あえて分かりやすい構成で書かれている本です。論語が高校生につまらないといわれる原因を調べ、それに対する対策として本書の構成がとられています。
そこで、私は生徒が何につまづくのか調べてみた。その結果、判明したのが以下の三点である。
一 弟子の言葉が偉そうで「ウザッタイ」
二 人物評や政治抗争や宮廷儀礼を述べた箇所が「ジャマクサイ」
三 口語訳だけでは意味が分からず、注を読まないと理解できないので「カッタルイ」
そこで私は、孔子の言葉だけを、あたかも自分が孔子であり、生徒が弟子であるかのごとく講読してみた。(p.3)
この構成で本書を読むと、偉い先生が自分に諭したり、気づきを与えてくれているような感覚で読めます。また、大まかにトピックに分かれているために、そのトピックに対する孔子の考え方が推測できる点も良いです。

高校教師時代の著者は、完全に放任主義でした。興味を引く話をしてくれることはありましたが、聞かない生徒を無理やり聞かせるようなことは全くありませんでした。以下の引用からヒントを得ていたのでしょうか。
学びたいという自発性のない状態では進歩発展させることはできないし、自分で答えが半分出来上がっているくらいでないと教えたって身につきゃしないもんだよ。四角なものの一隅を説明したら、残りの三隅は自分で類推する意欲がなければ、教えてもまずムダだね。つまりだ、真の教育は教わる者の自発性を高めることに力を注ぐべきなんだ。自発性さえ芽生えれば、誰もが自学自得するようになるよ。ムリやり知識を押しつけて教育したつもりになっているのは、とんだ思い違いさ。(p.43)
教育は知識を詰め込むのではなく、生徒の学びたいという自発性に重きを置いた考え方です。2500年前の孔子の言葉は長きに渡って読み継がれてきたことを考えると、多くの人が正しいと考えてきたことなのでしょう。批判されることの多い「ゆとり教育」も、知識のつめこみよりも自発性に重きを置いた点では一定の正しさがあるんだと思います。
他人が自分を認めてくれないと嘆くものは多いが、自分が周りにいる他人の才能や長所に気づかないことを嘆くのが先だろう。他人の才能に気づく能力を身につけてみなよ、そんな人物を世間がほうっておくと思うかね。(p.102)
自分の才能を認めてもらえないと嘆くのではなく、他人の才能を見抜けるように努力しなさいと言うのは、たしかにそうだと感じました。実際にこういわれると、胡散臭い感情が芽生えますが、2500年前の偉人がそう言っていたといわれると不思議と素直に受け止められるのが、古典の良いところかもしれません。
どれほどの大軍に護られている大将でも奪い取ろうと思えば奪い取れないことはないよ。しかしだ、人間の意志は、たった一人の者の意志であろうと、それを外から大勢で奪い取ろうとしたって奪い取れるもんじゃないさ。人間の意志というのは、それほど絶大な力を秘めたものなんだよ。(p.137)
人がどんな考えをするかは、その人の自由で他人が強制することはできない、と言っています。だから他人の遺志を強制的に変えさせようとするなと取るのか、だから他人に影響されず自分の意志を持てと持つのか。古典は読む人の自由な解釈が許される面白い読み物です。
高校生が感動した「論語」 (祥伝社新書)
佐久 協 (著)

孔子の生涯と『論語』
読む前に知っておきたい十項目
第1部 孔子のことば
第1章 人生の目標
第2章 家庭生活
第3章 教育と学問
第4章 道徳の力
第5章 能力と努力
第6章 社会参加
第7章 心と言葉と言動
第8章 人間の品位
第9章 国民と政治
第10章 老病死と祈り
第2部 孔子プロファイリング
第3部 弟子たちのことば

論語は二千年の長きにわたり、日本人の精神と道徳の根幹でありつづけてきた。日本人は論語というたった一冊の書物を通して、人とのつきあい方、正しい生き方を知らず識らずのうちに学んできたのだ。大人になって社会に出、人と人との間で揉まれ苦しむとき、真に役に立つのが論語である。だが、誰もが高校の授業で一度は触れた論語を、年を重ねて読み返したりはしない。三十有余年、慶応高校で論語を講じてきた著者は、「こんなにもったいないことはない」と力説する。孔子は五十代に入ってから名を成した。論語が苦労人ならではの処世術に満ちている所以である。共感できる章句が一つでもあれば、必ずや読む者の助けとなるはずだ。

3 comments:

花園 祐 さんのコメント...

 「論語」は金谷治氏の翻訳版が私の愛読書です。最低でも、五回は読んでいる気がします。
 自分が周りを見ていて思うのは、論語は古典、しかも中国のものだからどうも難しくてとっつきづらそうなイメージで敬遠されがちなのではという気がしますが、この金谷氏の翻訳版も平易な文章で、なおかつこの記事でも書かれているように昔の人に言われるのであればストンと来るような内容なので、是非中高生には読んでもらいたいですね。さらに欲を言うなら、陳瞬臣氏の「十八史略」も中高生のうちに読んでて損は無いです。

Madeleine Sophie さんのコメント...

そうですね。平易な翻訳版がぜひとも必要だと思います。「子曰く〜」で始まる漢文をそのまま読んだり、漢文風に読み下しただけでは、多くの人が興味を持てないのは理解できるからです。陳瞬臣氏の「十八史略」は存在さえ知りませんでしたが、機会があれば読んでみたいですね。

利彦 さんのコメント...

どうして『論語」のような中国の本をよまなければなりませんか。日本独自の政治哲学はあるのに、わざわざと日本文化とちぐはぐな外国のものをとりいれて影響しやすい高校生によませることはないじゃないか。日本書紀をよませたほうがましです。

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