2009年6月4日

[書評] エリートのつくり方―グランド・ゼコールの社会学

エリートのつくり方―グランド・ゼコールの社会学 (ちくま新書)フランスのエリートを養成する学校であるグランゼコールに関する本です。本の概要は、1)フランスの教育全般にわたる解説、2)グランゼコールの歴史と著名な学生達の紹介、3)21世紀のグランゼコールの展望となっていました。1996年の出版ですが、どのようにエリートを作るかや、エリート達の歴史というのは、10年程度で変化するものではないので、今の状況をつかむにも役立つと思いました。

1ではフランスの小学校は水曜日に休みなことや、バカロレアの試験について解説されています。バカロレアは6月に高校生が受ける大学入学資格を得るための試験です。「人は苦しむことなしに欲望しうるか?バカロレア・哲学2008)」みたいな日本とはだいぶ違う問題が出るそうです。まわりのフランス人が、政治や文化など普段の生活に関係ない命題について真剣に語り合う理由が少し分かる気がします。2ではフランスで特に名高いエコール・ポリテクニーク(École polytechnique)エコール・ノルマル・シュペリウール(École normale supérieure)について歴史と、著名な在学生についての物語について語られます。前者は官僚/技術者になることが多く、後者は学者/教育者になる傾向があるそうです。

タイトルにあるようにエリートについて議論されているのは3つ目の部分でした。フランスでは社会の仕組みのすべてを考えて作り上げていくエリートと、言われた通りに働き気ままに暮らす庶民というように、日本よりも分かれています。

日仏経済情報
CNRS(フランス国立科学研究所)の調査によると、フランスの上位200社の大企業では、社長のなんと50%はENA(国立行政大学校)と Polytechnique(国立理工科大学校)の出身者である。これに他の国立のグランゼコール(高等大学院)のエコール・デ・ミーヌ(鉱山大学校)や ポン・エ・ショセ(土木大学校)などを含めると実に3分の2の企業経営のトップがこれらの官僚の出身者で占められている。
フランスではこういった事情によって、エリートは常に厳しい視線にさらされているのを、よく耳にします。しかし、一方でエリートがいなくなったらフランスの社会がまわらなくなってしまうことは庶民も含めて、よく理解されています。エリートの位置づけは、コンドルセのこの引用に現れていると思います。
『すべての人に広めることの出来る教育は、当然すべての人に等しく与えられるべきである。だが市民のある部分にしか与えることができない高度な教育があるなら、それを一部の人に与えることを拒んではならないと考える。教育は、それを受ける人にとって有益でなければならず、それを受けないことが有益なものもあるのだ』(p.168)
まず、人類の蓄積した知識は万人に平等に与えられる機会を作ることは必要だが、万人に行き渡らせることが不可能な高度な知識もあるということ。そういった高度な知識はその知識を受け取る能力のある人物だけに与えることが、受け取らない人にとっても有益であって、市民の代表として高度な知識を受け取った人はそれを社会に還元する義務を負うことになること。とくにグランゼコールも含め公教育の学費が無料であるフランスは、エリートの養成が皆の税金でまかなわれていることから、この義務が大きくなります(グランゼコールの組織形態と学費日仏の教育における学費の私費負担)。
ノブレス・オブリージュ(貴族の義務)という言葉がある。貴族はその身分にふさわしい教養を身につけ、それにふさわしい義務を果たすという意味だが、現代の「国家貴族」たるエリートにも当然この義務は要求される。国家の予算によって養成された彼らは、社会に対して大きな義務を負う。(p.199)
日本では、難関な試験に通りその結果、高度な知識を得ることができる立場に立った人が、その知識を使って個人の栄達を考えるのはむしろ普通です。自身が万人に与え難い高度な知識を得ることができる立場に立ったことを、市民の代表としてその知識を得ることと捉え、その知識を社会に還元する義務を負った考える学生の方が少数派だと思います。当然フランスでもその部分が問題となっていて、以下のように結論づけられています。
そこで教育されたエリート達が、その知識と教養をみずからの栄達のためではなく、社会に還元する意識をどう植え付けるのか。こうした点に今後フランスの教育の可否がかかっている。(p.196)
エリートのつくり方―グランド・ゼコールの社会学 (ちくま新書)
柏倉 康夫 (著)

第1章 フランスの小、中学生
第2章 大学入学資格試験
第3章 準備学級
第4章 歴史は二百年前にさかのぼる
第5章 体制か反体制か
第6章 三人の文学者
第7章 戦争そして戦後
第8章 ソフィーとピエール
第9章 二十一世紀の知をもとめて
第10章 現代の「ノアの方舟」

グランド・ゼコールは革命のさなかの一七九四年、強烈なナショナリズムを背景に、理性にもとづいた国家の創出と拡充をめざして作られた。それ以来、優れた知識人を数多く輩出して、今なお文化の世界だけでなく政・財・官の指導層に人材を送り続けている。フランスの国運を担った超エリートシステムの二百年の軌跡を、興味深いエピソードを交えて紹介する。

4 comments:

匿名 さんのコメント...

これは、驚きの管理人さんのご意見。
私は日本人はエリートかどうかにかかわらず、職業を通じて社会に貢献するという意識が高いために、明治維新から敗戦まで、アジアでは植民地の憂き目を見ることなく、戦後は奇跡の復活を遂げたのだと思っていました。

Madeleine Sophie さんのコメント...

おっしゃる通り、日本ではエリートと庶民の差が、フランスよりも少ないように思います。フランスでは、庶民は気ままに暮らし、エリート達の負荷がかなり高い状態にあります。その点では日本はすべての人が均等に大変な負荷を負担しているように思います。言うまでもなくこれが日本の強みだったんだと思います。そういった背景から、日本にそのまま、エリートと庶民のモデルを導入するのは難しいと思います。

一方で、高校や大学などの高等教育機関には、公立、私立を問わず、税金の補助がおりています。そういった教育の中で、すべての人で共有することのできない教養を獲得した人が世に尽くす、またその教養を受けていない人も受けた人に対して世に尽くすことを期待するという、視点を導入するのも悪くないと考えました。その教育を受けていない人も税金を払っている限りその知識の恩恵を受ける権利があります。

いずれにせよ、僕にとっては1.人類の知識はできる限り平等に分配するべき、2.共有できない高度なものは一部の人にあたえ、与えられた人がそれを世に還元するという視点をはじめて得た本でした。このエントリではこの点について書いてみました。

frederic.laurent.bdx さんのコメント...

マドレンヌさん、
こんにちは。ご無沙汰しています。
日本の家族に頼んで、エリートのつくり方ーグランド•ゼコールの社会学を探してもらったもですが、今は出版されていないようです。残念。
マドレンヌさんのブログ、興味深く読ませてもらってます。お元気で。

Madeleine Sophie さんのコメント...

frederic.laurent.bdx さん、
それは残念です。。10年以上前の図書なのでしようがないかもしれませんね。僕は、偶然手に取った本が入手困難な本だったのは、運がいいことでした。

もしかしたらアマゾンでしたら、中古で手に入るかもしれません。

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