2009年5月23日

[書評] 愚か者、中国をゆく

愚か者、中国をゆく (光文社新書)
幼い頃から中国に興味を抱き続けてきた(p.5)”という著者が中国を旅した記録です。この本に収録されているのは、1986-1987年ごろの中国の話で、著者が大学3-4年生だった頃の記録です。香港ー広州ー西安ー蘭州ー嘉峪関ーシルクロードーウイグルと今でも少し冒険のような道のりですが、筆者が旅した時代は天安門事件よりも前の時代です。その頃の時代の雰囲気を良く描いていて面白かったです。旅人の心理や、旅を共にしたアメリカ人のマイケルとの人間関係、出会った人々の様子や、当時の中国にありふれていた不条理と不合理が分かりやすく描かれています。その状況に戸惑い、順応していく筆者の過程を読み取れるのが興味深いです。下に本書の道のりを地図で作ってみました。


より大きな地図で 愚か者、中国へいく を表示

当時の中国は不合理と不条理の嵐でした。いろいろありすぎて迷いますが、とくに衝撃だったのは、硬座切符についての話でした。硬座とは文字通り硬い座席のことです。これがものすごいのです。まず、筆者は初めて「硬座」についてアメリカ人学生から、こう聞いて興味を持ちます。
「さすがに硬座だけはおすすめしないよ。硬座に乗ると......心が壊れる。」(略)
「でも率直に言わせてもらうけど.....硬座に乗ったことの無い人間に、中国を語る資格はないかもしれないな」(p.60)
筆者は実際に体験することになった硬座は、第三章に「硬座の悪夢 (p.156)」として描かれています。これはちょっと笑っちゃうぐらい不条理で、上の言葉がそれほど誇張じゃないような気がするぐらいです。

切符も資本主義の国で育った筆者にとって不条理と不合理の嵐です。そもそも目当ての切符が無い窓口に半日並ばされたり、切符を買うだけのために何日も列に並ぶハメになったり、ものすごい状況でした。駅をおりるごとに切符に右往左往するハメになる筆者はだんだん以下のような状態になります。
列車から降りて切符を手放した途端、わたしは不安にかられて切符を買いに行こうとする。まるで切符が手の中になければこれ以上、一秒たりとも呼吸ができないかのようだ。ここまでくると、もう切符依存症だった。切符はもはや、それ本来の役割を大きく逸脱し、それこそ本当に天国、あるいは地獄へ通じる門の通行証のような存在になりつつあった。(p.143)
いろいろな経験を積んで、どんな状況であっても切符が簡単に手に入ることがあり得ないことを学びます。まるでなぞなぞだと考えるようになります。
混んでいても手に入らない。すいていても手に入らない。大きな駅でも手に入らないし、小さな駅でも手に入らない。このなぞなぞのような現象を、どうしても理解したい。(p.226)
筆者が考えに考えて行き着いた結論が以下の通りです。あきらめの境地になっています。
つまり切符ごときに一喜一憂するほうが馬鹿だということだった。手に入ろうが手に入るまいが、どちらもたいした問題ではない。それこそがこの世界で生きる人民の持つべき心構えなのだ。(p.229)
筆者が20年後の2005年に中国を旅行した際に、若い中国人の大学生にこの旅の話をしたときには、まったく信じられないといったような反応だったそうです。それほど、中国のこの20年間の変化はすさまじいものだったということでしょう。

筆者は旅で起こるできことや、人々の様子、中国のシステムについていろいろな考察を加えていて、それも面白いのですが、一番興味深いのは「日本の敗戦記念日=中国の天安門事件」という考察です。なるほどなと思いました。
改革開放政策の自由な空気に触発されて民主化要求が一気に高まり、それが弾圧されたのが天安門事件だった。この一件を通して人々は、政治的自由を主張しない限り、経済活動の自由は保証する、という政府の強い意志を感じとった。そして心の中に開かずの間を作っていいたいことを封印し、経済活動に邁進してきたのだ。...(略)...
中国悲願の北京オリンピックが開催されるのが2008年8月。天安門事件から十九年と二か月後のことである。/この時間の流れと奇妙に符合するのが、なんと日本の歴史である。/日本の敗戦が1945年8月15日。そして悲願の東京オリンピックが開催されたのが、まさに十九年と二か月後の1964年10月のことだった。...(略)...だとしたら中国人の人々にとって天安門事件が起きた1989年6月4日というのは、日本人にとっての1945年8月15日のように、ある意味、敗戦記念日ということになるのだろう。それまでのことはとりあえず棚上げし、経済活動に集中することを決意させられた日なのだから。(p.319)
最後に、駅で待っているときに隣に座った男が、無料の水を群衆の中に持っていき洗顔できるサービスを思いついたバイタリティに対してこんな感想を述べています。全く次元が違う人間同士が隣り合っている滑稽さをこういう風に書けるのがすばらしいと思います。書評とは関係ないですが、あとで読みたいので引用させていただきます。
男は、ゼロから利益を生む魔法みたいな商売はどこかにないかと必死で考えている。一方私は、てのひらの上にある、たいした労働もせずに日本人駐在員の息子をだまくらかして得たアルバイト代を見つめ、この金がなくなるまでにどんな体験が出来るのかを考えている。男は手の中の金が増えることが豊かさにつながると信じ、私は手の中の金が減れば減るほど、自分の人生は豊かになっていくものだと信じている。しかしお互い、男のてのひらがいっぱいになった時、そして私の手のひらがからっぽになった時、何が待ち受けているのかは知らない。(p.282)

愚か者、中国をゆく (光文社新書)
星野博美 (著)

◎ 目次
はじめに 餃子とJAPANと四人組
第一章 香 港
第二章 広 州
第三章 西安から蘭州へ
第四章 嘉峪関まで
第五章 シルクロード
第六章 ウイグル
第七章 旅の終わり
第八章 それから
おわりに 時代遅れの地図

中国に関する報道や批評などを目にした時に
外部の人間がイメージする中国という国と、人民の実生活
には大きな隔たりがある、というのが、二〇年近く、
なんとなく中国と関わり続けてきた私の実感だ。
それらを「情報」と呼ぶなら、情報によって喚起される
イメージを鵜呑みにすると中国はどんどん見えなくなるぞ、
という一種の警戒感のようなものは、
たびたび中国を旅行していたこの時期に
培ったと思っている。(「はじめに」より)
交換留学生として香港に渡った著者は、
一九八七年、アメリカの友人、マイケルと中国旅行に出る。
中国社会が大きな変化を迎えたこの時期に、
何を感じ、何を見たのか----。
「大国」の本質を鋭くとらえた貴重な記録。

2 comments:

pricessmia さんのコメント...

初コメントです。
記事と全然関係ないのですが、
フランスでは
ベルサイユのばらの認知度、評価は
どのようなものですか?

Madeleine Sophie さんのコメント...

pricessmiaさん、
ありがとうございます。ベルバラはマンガ好きの人はだいたい知っているような気がしますね。ただし、ベルサイユのバラと言っても知らずに、Lady Oscarとして知られているので気をつけてください。

フランスでは知ってる知らないの差が激しいので、知らない人は全く知らないでしょう。3人に一人知っているぐらいでしょうかね。日本人の僕に対してベルバラが話題になるときの反応なので、実際はもっと低いかもしれません。

コメントを投稿