2009年2月5日

左派と右派の意見が近いフランス人の政治議論


Paris, France
フランス人の政治議論を聞いていると、よく思うことは多くのフランス人は右派でも左派でも非常に近い意見を持っているということです。議論しているときにお互いの意見を認め合います。たとえば、ストライキついて議論していると、ストライキの反対派も一定限度ストライキの重要性を認めていて、ストライキ賛成派も一定程度ストライキの問題性を認識しています。賛成反対どちらの意見を擁護していても、相手の論点については認め合っているのです。

ストライキを例にとると、こんなことがありました。ストライキは交通手段がなくなって経済活動を制限する割には、得るものが少ないというストライキ反対の意見を言う人がいたときです。ストライキの頻発がフランスの経済を殺しつつあるという認識でした。もう一方の人は、政府や資本家に対抗する手段としてのストライキの重要性を説いていました。権力の監視という点では、ストライキにも存在価値があることを説きます。するとストライキ反対派は、労働組合とストライキの存在価値は認めるけど、やりすぎの上に成果が少ないといいます。また、労働組合を統率する特定の人が、投票による国民の信任を受けずに力を持っていくことにも嫌悪感を示します。反対派はストライキや組合の問題点は最初から認識しています。

このようなことを見ていると、賛成反対どちらに立っている人も、ストライキの存在価値と問題点の両方を認識しています。両者はストライキ賛成(左派)と反対(右派)に分かれていても、その距離はものすごく近いのです。現状を顧みながら、どちらかといえば、右とか左とか言っているのです。僕から見ると、右と左の中間のものすごく近い位置で手をつなぎながら議論しているように見えます。両端にわかれ、右翼左翼と呼び合う日本とはちょっと違うのかなと思います。

もうひとつの例として、イスラムのスカーフ問題もありました。彼らの議論は「文化の多様性を認めよう。君の文化を認める代わりに、僕の文化も認めてよ」と言ったようなおおざっぱな議論で終わりません。誰でもが納得できる議論で終わることなく、文化の多様性と共和国の理念が激しく対立する論点に踏み込んでいきます。

フランスでは、憲法の前文第一条にもある通り、非宗教的な国家、生まれ、人種、宗教の区別なく生活できる国家を作るために、公立の学校ではスカーフの着用が禁止されています。子供の頃から常に触れあう友人との間に宗教の溝を作らないフランス共和国の苦肉の策です。

Constitution de la République française
(フランス共和国憲法 前文第一条)

La France est une République indivisible, laïque, démocratique et sociale. Elle assure l’égalité devant la loi de tous les citoyens sans distinction d’origine, de race ou de religion.
フランスは、非宗教的、民主的、社会的な、分割し得ない共和国である。フランスは、生まれ、人種、宗教の区別なしに、すべての市民に対して法の下での平等を保障する。
しかしこの法律には、大きな問題点があります。それは、共和国理念のためのとはいえ、国家権力が個人の衣服を無理矢理はぎ取っているという心苦しさです。

フランスにおいて現在でも、答えのないこの議論について、食後のコーヒータイム30分を使いました。その結果わかったことは、やはり両者の意見はかなり近いということです。イスラム教の人もいたのにも関わらず、どちらの陣営もどちらの問題も認め合っています。誰でもが納得できる議論で終わることなく、問題の本質に踏み込み答え対して接近していった結果、合意に至らなくても二人の意見はかなり近いことを確認することが出来ました。

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7 comments:

花園 祐 さんのコメント...

 フランスはさすがですね、今時の日本じゃ学生ですらティータイムにそんな今度な会話をしませんよ。

 日本の右派と左派は政策的議論よりイデオロギー的な議論を好むところがあり、意見をどう帰結するかとかどのように世の中を持っていくよりも、お互い激しく対立する様子をそれぞれの支持者に見せ付けることが重要だったのが問題だった気がします。最近は大分まともにはなりましたが。

ホリ さんのコメント...

はじめましてホリです。よろしくお願いします。

フランスではそのような議論が日常で行われているんですね。議論好きなのであれこれ言いあっていておもしろそうだなと感じました。
日本の学生は確かにそのような議論はしません。自分としては友人と話しているときどうでもいいような話をしていてつまらんと思うときもしばしばあります。

Madeleine Sophie さんのコメント...

花園、まあ、フランスでも四六時中政策議論をしているわけではないんですがね。やっぱり好きなんだなあという印象はありますね。対立を見せつけるために議論をするっていうのは、なんかありそうなシチュエーションですね。不毛だと思います。。

ホリさん、はじめまして。僕も議論好きなので面白いなあと思いますね。ただ、フランス人が集まったときの議論では口を挟む間もなくひっきりなしにしゃべってるので、聞き役に回ることが多いですが。議論も楽しいのですが、忙しい日には切り上げて仕事を仕上げたいと思うことも、しばしばあるんですけどね。。

サカタ さんのコメント...

 なるほど。フランスでは、日本と違ってみんなが納得するように帰結するのではなくて、お互いの主張を確認するのが主目的なんですね。

 その場合、解決はしないけど何を考えているのかをはっきりさせることによって、悪い誤解を解くことができますね。

 日本よりも外国人に対しての配慮がなされているフランスらしい考え方だと思いました。日本も外国人労働者を多く雇っているのですし、見習うところはありそうですね。

Madeleine Sophie さんのコメント...

同意できなくとも、考えが聞けるだけでも楽しいと考えているのかもしれませんね。少なくとも、どこに同意できていないのかは分かるはずですからね。

フランス共和国憲法に書かれていることが全て達成できているはずはありませんが、一応理念はこうだというぐらいですね。どこの国でも理想と現実は違うものですからね。移民政策が完全に成功していれば、2005年パリ郊外暴動事件 (Wikipedia)なんて言うのは起きないはずですしね。

たまーむ さんのコメント...

こんにちは。フランス人と話をしていて、議論の前提を飛ばして話をしてくるように感じることはありませんか? たとえば、「ストライキをやること」に対して社会的な合意があるので、その点を飛ばして議論をしてくる、など。相手がフランス人ではない場合には、そのフランス独自の暗黙の前提が未合意なままなので、「ロジカルなフランス人」が一見、非論理的にも聞こえる話をしているように見える、という意味です。
いかがでしょうか?

Madeleine Sophie さんのコメント...

たまーむさん、

たしかに議論のベースが違うと、コンセンサスを得るのに時間がかかってしまうかもしれませんね。社会的なコンセンサスがあるものは、飛ばしそうですね。日本人と話すときには、その辺に注意できるフランス人だとすごいなあと思いますが。

僕がフランス人から思うのは、「ああ言えば、こう言う」的な感じなので、自分が議論に参加していれば、相手も議論の持って行き方を修正していくような気がしています。相手が知らない情報を補完しながら、自説を展開していくのもうまい気がします。

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