
著者が提案する超訳は例えば以下のようなものがあります。
六 客中行(かくちゆうこう) 李白書き下し文では意味を汲み取るのが難しいですが、超訳ではすごく平易に書かれています。昔の人が詩を作る研ぎ澄まされた技術を用いながら伝えたいことは、現在から考えても理解し会えるような意見なのが新鮮でした。
蘭陵(らんりよう)の美酒鬱金香(こんこう)
玉椀(ぎょくわん)盛り来(きた)る琥珀の光
但(た)だ主人をして
能(よ)く客を酔わしめば
何(いず)れの処か是れ他郷
なみなみ酌がれた高級地酒 口からお出迎え うまい酒とウマの合う話し相手がいる所が 俺の故郷さ (p.84)
高校の授業でもそうだったのですが、著者の特性として漢文以外のコラムが面白いと感じました(僕自身、漢文にあまり興味がないので)。昔の中国では美しい詩を作ることができる人物が情緒に秀でたよい統治者であるということが前提となっていたそうです。
近大詩は①字数②平仄(ひょうそく)③押印の他に起承転結や対句などの制約があり、規則どおりの詩が作れるというだけで、中国ではインテリの証明でもあった。その上に読者を感動させる詩を作れるとなれば、人情に精通した一級の人物とみなされ、そうした人物を求めるために官吏登用試験である科挙に詩が課せられるようになったのだ。(p.42)そのため、一つ一つの詩には、人の人生をかけるほどの現在からは考えられないほどの情熱が傾けられています。詩がどれほどの推敲と努力の上に成り立っているかを知れば、読者がその詩から得られるモノへの期待が高まります。
詩人として名を成せば、科挙に合格して進士になれなくても皇帝の側近くに仕えることも役人として遇されることも可能だった。現に、李白や杜甫は一時期そうした厚遇に与っている。そのためもあって詩人たちの詩に対する思いは妄執と呼べるほど凄まじいものだった。(p.130)先生に高校で漢文を習っていたときには、漢文が好きなちょっと変わった先生というのと、なんかすごい人だと漠然と思うぐらいでしたが、この本を読むと深い知識とそれに裏打ちされた考察がすごいと見直しました。高校での授業の他は何をしているんだろうなと不思議でしたが、しっかりと研究をされていたのだと思いました。また、先生の祖父も知名度のある漢学者だということもこの本ではじめて知りました。
幸い祖父の佐久節は学識も知名度も共に備えた漢学者であり、漢詩の訳者でもあった。(p.4)またあとがきを読み、最後の漢文の授業で、定年後に漢詩を作ることを勧めていたのを思い出しました。
というわけで、定年を迎えて時間的な余裕をできた読者には、ぜひとも漢詩を作ることをお勧めしたい。若い読者には、その時のための準備を始めていただきたい。(p.225)
ビジネスマンが泣いた「唐詩」一〇〇選
佐久 協 (著)
1 サラリーマン人生
2 人生の哀歓
3 飲食
4 青春
5 友情
6 旅情
7 望郷
8 戦乱
「国破れて山河在り」「昔聞く洞庭の水」「白髪三千丈」…。古来、誰もが暗誦した唐代の名詩。その作者たちは、多くが科挙の合格者であり、青春の輝きを謳歌した。しかしまもなく世知辛い現実に直面して、エリートだった自分もまた敗者であるということを知った。酒食に憂さを晴らし、友と別れ、旅情に涙し、望郷の念に胸を焦がしながら、詩作にわが身の哀歓をぶつけたのだ。当時の詩人たちの心情が、現代日本人のそれと何ら変わらないのに驚かされるだろう。本書では、字句や文法の吟味は横において、詩本来の内容やリズムを肌で感じられるような訳を試みた。
2 comments:
私は中学校の頃に漢文を学んで、素直に面白いと思ったことも中国語の勉強への一つのきっかけになりました。聞いてみると私の中国語の恩師も同じで、近年の日本の国語教育では年々漢文の指導内容が減らされていることについて、漢文は日本語にも強い影響を与えている表現形式で、漢文を知らずにどうして日本語が出来るかと二人してこの前に息を巻きましたね。
ほんと、こんな面白いのにどうして皆嫌がるんだろうなぁ。
花園さん、あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
確かに、漢文の読み下し文が日本語に与えた影響は大きかったと思いますね。先人が中国の文章を素直にそのまま読まずに、読み下したことは意味があったことなのでしょうね。純粋な日本語でもなく、中国語でもない、漢文を学ぶことの利点と面白さを知れるいい本だったと思います。
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