2008年11月20日

マンガは低俗か


Paris, France
マンガというとどんなどんなイメージを持ちますか。漠然とメディアで紹介されるように、マンガの読者はネクラで、キモくて、ダサくて、クサいとうイメージを抱いている人も多いと思います。大抵は漫画なんて読んでないで教養をつけろとか、働けと思われています。テレビゲームを含めても良いかも知れません。また、似たようなイメージで、インターネットのヘビーユーザも同じように、ネクラで、ネット犯罪を犯して、実世界でも犯罪者予備軍のように扱われることもあります。多くの人は、こういったイメージを構成する十分なサンブルを持っている訳ではないのに、こういったイメージがつくのはどうしてなのでしょう。

まず第一に考えられるのがテレビや新聞と言った権威ある古参メディアの吹聴があると思います。これまでの信用と権威を失いたくない、新しいメディアに主導権を奪われたくないと言う側面があり、新しいものを批判する動機が生まれます。テレビや新聞でいわれている、マンガやゲーム、インターネットの問題性については妥当な面も多いとは思いますが、これらの古参メディアの間には競争関係があるために、古参メディアの言い分を批判なく受け入れるのは不当です。さらにいえば、インターネットにアクセスする時間とテレビゲームをする時間が増えれば、テレビを見る時間は減ってしまいますし、マンガを読めば、新聞を読む時間が減ってしまいます。両者は客の取り合いという隠然たるライバル関係にあります。

現実と仮想空間の区別がつかないゲーム脳、マンガを読んでいる時間と低学歴は相関がある、レースゲームをする人は事故率が高い、などなどもっともらしく紹介されることも良くあります。ゲーム脳に関しては、脳力トレーニング(Nintendo DS)の川嶋教授などは「テレビゲームで遊ぶことで脳が壊れてしまうことは100%ない」と言っていますし、ゲーム脳は証明された訳でもありません。また、マンガと低学歴、レースゲームと事故率の相関関係を発見したところで、因果関係の説明にはなりません。どういうことかと言うと、相関だけでは、「マンガファンが勉強ができなくなっていく」のか、「勉強ができずにやる気もなくて時間があまり、漫画を読む」かが分かりません。レースゲームでも「レースゲームをすると現実でもスピードを出したくなる」のか「スピードを出したい人がレースゲームに引き寄せられる」のか原因を特定したことにはならないからです。「相関関係は原因を特定しない」という統計の基礎を知らんぷりして、したり顔で批判しているマスメディアは商売敵を貶めようとしているようにしか見えません。

そもそも、テレビや古典文学でさえも現在の権威を最初っから持っていた訳ではありません。テレビも映画も当初は教育への悪影響が懸念されていました。また、古典でも平安時代では、平仮名で書かれた物は漢文で書かれた物より低く見られたため、源氏物語を読んでいた人はおそらく、「そんな物読んでないで、漢文の素養を深めなさい」と言われていたの違いありません。定年間際だった高校の漢文の先生は冗談で、「我々の頃は、小説なんて読んでないで古典を読めと言われたけど、今はマンガなんて読んでないで小説を読めと言っている、君たちの子供はXXX(漫画より悪い物)よりマンガを読みなさい、といわれることになるだろう。嘆かわしい。」と言っていました。つまり、権威ある娯楽と言うのは移り変わっていっているということが分かります。

とはいえ、ポルノや暴力の表現をはじめ、マンガやゲームの問題点も理解できるため、手放しで賛成できる物でもありません。でもそれは、文学の世界でも存在することです。古典の源氏物語は過激な恋愛ものですし、モンテ・クリスト伯は復讐物として人気を博してきました。マンガも、文学も、要は内容を伝える表現の手段であって、問題はその表現の手段にある訳ではありません。つまり、文学、テレビ、マンガ、ゲーム、アニメと表現手段は違っても伝える内容が素晴らしければ、それは素晴らしい物であると考える方が自然です。長い期間人々に愛されてきたものの中にはいい物が多いことは確かですが、表現の手段にたいして教養深いとか低俗と差別するのはナンセンスだと思います。

現状では古典が教養で、マンガは低俗と区別されています。例えば、下のサイトでは、アメリカが日本の古典を学ばなくなり、マンガを読むようになったことが、日本軽視にあたると結論づけられています。
[2008.11.20] ここにもあらわれてきた米国の日本軽視ー日本の伝統文化に興味を示さなくなった米国 | Blog(ブログ) | [公式] 天木直人のブログ
米国の若者は黒沢映画のかわりにアニメを見るようになり、大学のなかには源氏物語や安倍公のかわりに漫画を読ませるところもでてきた・・・米国での日本に関する焦点がポップカルチャーになったという事は、米国人が日本の社会、経済、政治といったまじめな事項について話さなくなった事を意味する。
日本軽視うんぬんのまえに、やはりマンガは軽視されていますね。このブログにはいろいろマンガのエントリがありますが、フランスでは日本人=マンガという図式を持っている人が多く、尋ねられることも多いです。もしもこのようにマンガを軽視していたら、どのように答えるのでしょうか。「僕は漫画なんて低俗な物は読まない!あの低俗な物を日本人全てが読んでいるとは思わないでくれ。日本文化には、武士道、空手、歌舞伎、相撲、柔道、浮世絵、書道、華道、茶道、クロサワ、オズ、キタノなどがあるからぜひ語り合おう!」とかでしょうか。まず、変な人と思われるか、人の教養レベルを試そうとするヤな奴だと思われるでしょう。一つだけいえるのは、フランスの一般人には古典日本文化のどれよりもマンガの方が知られているということです。上のブログの著者とは年代が違うからかも知れませんが、僕の年代(26歳)では来仏する際にはマンガの教養をつけた方が、フランス人との会話を楽しめること請け合いです。(何事もバランスですので、古典日本文化についても知らないとバカだと思われるかも知れません。あしからず。)

2 comments:

花園 祐 さんのコメント...

 実は私の中国での留学中、同じクラスのフランス人の姉さんが、「你知道エクセルサーガー?」(エクセルサーガを知ってるか?)と聞いてきて、もちろん知ってるよと答えたら、えらく上機嫌になり、「ペドロさーん」とか言っては非常に盛り上がりました。挙句に、「お前はオタクなのか」とまで聞かれました。

 向こうでドイツ人やフランス人と話していて、向こうの連中はやっぱりネット上の違法動画でアニメを見ているのが主なようです。逆に、バカ真面目にお金を払う方がおかしいんじゃないかと、違法動画を見ない私のことを少し訝しがっていました。よく日本は中国の海賊版などを批判しますが、世界的にはそれが一般的な感覚のように思えます。

Madeleine Sophie さんのコメント...

ぼくもよく盛り上がってますよ。オタクという言葉も知れ渡っていますね。日本に詳しい人は日本語でのニュアンスも熟知しているために、他人や自分に使いにくいように感じているみたいです。

インターネット上の動画が流行って、もはや違法コピーは中国だけの問題では無くなってますよね。やはり作家、クリエーターのモチベーションのためにも、利益を作り手に還元できる仕組みは必要だと思います。

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