2008年11月17日

[書評] ジャーナリズム崩壊

ジャーナリズム崩壊 (幻冬舎新書 う 2-1)日本のジャーナリズム、とくに記者クラブを批判した本です。本の帯には「永田町、霞ヶ関、マスコミから「史上最低のジャーナリスト」と唾棄される著者が、またもや暴いた!」と書かれています。そのとおり書かれた方にはたまらないというような内容がたくさん書かれています。wikipediaの上杉隆の記述は、著者に都合の悪いものばかりになっています。おそらくおそらく著者を嫌うものによって書かれたのだと考えられます。

日本の報道のおかしな点がたくさんちりばめられています。例えば、担当した政治家が出世すれば記者が出世するというルールがあるそうです。
たとえば、自民党のある政治家が派閥の中で力をつけて、総理総裁のポストを窺う位置に就いたとしよう。仮に、その後、見事に首相の座を射止めたら、その担当記者も同時に政治部内で出世する。(P.30)
そんなルールがあれば、終身雇用の記者が担当政治家のネガティブな情報が書けるはずがありません。例として、「電話一本で、時の首相や官房長官までをも動かし、NHK人事に介入することが可能だった島桂次記者(のちに会長)や、田中派全盛期に同派を担当した海老沢勝二記者(同じくのちに会長)(p.31)」が挙げられています。

また、新聞が引用元に「一部週刊誌」のクレジットをつけて引用元を秘匿したり、「〜していることがわかった」と報道して、どこから情報を手に入れたかを秘匿する伝統を批判します。
情報源を明示しない悪癖を許してきた結果が、日本のジャーナリズム全体を貶めているのだ。(p.43)
外国のメディア(ニューヨーク・タイムズ)の経験が長い著者は、ことあるごとにアメリカのジャーナリズムについて述べます。米国の公明正大なジャーナリズムに対して日本のジャーナリズムがいかに、制限されていて貧弱なものなのか説かれます。日本の記事は匿名なのが多いのですが、アメリカではほぼ全ての記事に著者の名前が記されるそうです。ニューヨーク・タイムズの記者の以下の言が紹介されています。
「...(略)...たとえ厳しい論調の記事になろうと、書かれた相手への尊敬の念を忘れてはならない。だから相手の名前を明らかにしながら、自分だけが匿名の世界に逃げるようなことは決してあってはならないことなのだ。それは、ジャーナリズム本来の精神から完全に逸脱しているし、恥じすべき、卑怯な新聞記者のやり方だ」(P.138)
この本で繰り返し述べられているのは、記者クラブへの批判です。記者クラブへの批判はすごく納得できるのですが、一方、本書全体であまりに批判一辺倒なため、記者クラブの記者からつまはじきにされている著者の恨み節のようにも見えてしまいます。また、著者が働いていたニューヨーク・タイムズをはじめとする外国メディアに対しては一辺の批判もなく、お手本とするべき対象としてあげられているのにも、違和感を感じました。これは、一方的な意見に疑問を持ってしまう僕の感覚の問題かも知れません。
EUは繰り返し、日本の記者クラブに公平な扱いと自国の記者達への開放を要求している。(P.221)
これも確かに事実です。wikipediaの「記者クラブ」の項目にも記述があります。

webで著者の情報を探しているとき、「上杉隆インタビュー『ジャーナリズム崩壊』はすでに始まっている」を見つけました。3ページ目には外国のメディアの短所と日本メディアの長所についても述べられています。本書が記者クラブ批判一辺倒になっていたのは、日本のジャーナリズムが外国メディアの長所短所を議論できるレベルに達していないという著者の危機感だったのかもしれません。

ジャーナリズム崩壊 (幻冬舎新書 う 2-1)
上杉 隆 (著)

第1章 日本にジャーナリズムは存在するか?
  • 空想でしかない「客観報道」
  • メモ合わせ
  • 自由な言論を許さないメディア
  • 編集と経営
  • しばり、癒着
第2章 お笑い記者クラブ
  • 笑われる日本人記者
  • メディア界のアパルトヘイト
第3章 ジャーナリストの誇りと責任
  • 署名記事
  • 実名報道
  • 均一化したエリート記者たち
第4章 記者クラブとは何か
  • 記者クラブの誕生
  • 日米メディアをめぐる誤解
  • 英訳・キシャクラブ
  • 都庁記者クラブの場合
第5章 健全なジャーナリズムとは
  • アフガニスタン・ルール
  • 過ちを認めない新聞
  • 日本新聞協会の見解
日本の新聞・テレビ記者たちが世界中で笑われている。その象徴が日本にしかない「記者クラブ」制度だ。メモを互いに見せ合い同じカンニング記事を書く「メモ合わせ」、担当政治家が出世すれば自分も出世する歪んだ構造、権力におもねり掴んだ事実を報道しない体質。もはや新聞・テレビは権力をチェックする立場と国民に知らせる義務を放棄したも同然である。恐いもの知らずのジャーナリストがエリート意識にこりかたまった大マスコミの真実を明かす、亡国のメディア論。

4 comments:

花園 祐 さんのコメント...

 メディア論については過去に私も「新聞メディアを考える」(http://imogayu.blogspot.com/2008/06/blog-post_6891.html)という連載記事についていろいろ書きました。われながらこの連載では非常にレアのア情報も書いておりなかなか満足している記事ですが、やっぱり批判だけしていてもどうしようもないなぁと最近思ってきました。いかに、どのようなメディア環境が望ましいのか、そうした議論へとなかなか発展しないものです。

Madeleine Sophie さんのコメント...

新聞は本当に無くなってもおかしくないですよね。でも、メディアが移り変わっても上質なジャーナリズムは価値のあるものです。有象無象の人が議論する掲示板ではたどり着けないような、斬新な視点や分析、説得力のある根拠ある論理は、これからの時代にも必要とされるものだと思います。新聞だけでなく、このジャーナリズムが崩壊するのは危機ですね。批判だけでなく、建設的な意見を出していきたいものです。

匿名 さんのコメント...

上杉隆はNYTのジェイソン・ブレア捏造事件やリック・ブラッグパクリ事件をどう思ってんのかね?
そこに言及してないってんなら彼も大したことないよ
ただの身びいきじゃん

Madeleine Sophie さんのコメント...

ジェイソン・ブレア捏造事件については、『ジャーナリズム崩壊』の207ページからの「ジェイソン・ブレアの衝撃」という節で4ページにわたって触れられていますよ。

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