2008年11月2日

[書評] 知られざる福沢諭吉 下級武士から成り上がった男

知られざる福沢諭吉 下級武士から成り上がった男 (平凡社新書)
福沢諭吉の功罪について分析していこうという内容の本です。このブログでは、福沢諭吉についての本を書評するのは、「[書評] 福沢諭吉の真実」についで二度目です。本エントリの本にも『福沢諭吉の真実』について触れられています。「平山洋氏の『福沢諭吉の真実』(文春新書、2004)である。...(略)...これが究極の福沢擁護論であることだけは間違いない。(p.228)」です。福沢諭吉の不都合な記事は別人が書いた可能性があると指摘した『福沢諭吉の真実』を究極の福沢擁護論と位置づけています。対する本書は、「本書『知られざる福沢諭吉』などは、その内容はともかくとしても、「福沢惚れ」でない著者による福沢論であるところに希少価値があると自負している。(p.228)」というように、福沢擁護論ではないところに価値を置いています。

本書では、福沢が分かりやすい文章と論理をもって大衆に当時の外国と日本の状況について説明し、開国に向かう大衆の意識を変えたことについての評価をしつつ、福沢の品格、節操のなさを焦点としています。福沢の品格を問うのは、日本の品格を問うのに必須であり、このブログでも書評した「[書評] 国家の品格」でも述べられるべきであったと書かれています。

福沢の節操のなさはいろいろな出来事を元に解説されていますが、最も端的なところは明治維新前後の福沢の変わり身の早さでしょう。以下は、『福翁自伝』中の一節を著者が解説のために、まとめたものです。福沢の思想として三つの点が挙げられています。
1. 幕府は叩き潰してしまうがよい(倒幕思想)。
2. 幕府に雇われているからといって、批判を控える必要はない。洋学者は幕府に横文字を読む技術を提供しているだけで、雪駄直しと変わるところがない(洋学者=賤民説)。
3. 自分たちは、幕府を倒す先棒になるつもりはない(傍観主義)。(p.99)
幕府に勤めているにもかかわらず、幕府は不必要といい、幕府を批判し、その上、倒幕運動をする危険は冒さないという、ずる賢さがあります。これが一個人だったら、頭の良い器用人ということになるのかもしれませんが、最高額の紙幣に印刷される人物となれば、その妥当性について功績や品格などを含めた「紙幣に載る資格」についても議論される必要があるでしょう。

攘夷支持の頑固なおばあさんを口説き落として開国に転向させようとしている友人を見て、自分も開国の意義を世の中に説明しようと思い立ちます。著者は、これが思想家/啓蒙家・福沢諭吉の始まりだと見ています。
こうして福沢は、『唐人往来』を書き上げた。「一本の筆を振り廻して江戸中の爺婆を開国に口説き落とさん」。このスタンスは、幕臣としての立場に抵触しない。また塾経営者としての立場とも矛盾しない。啓蒙家・福沢諭吉は、まさにこの瞬間に誕生したと言ってよいだろう。(P.176)
この判断でも、福沢は幕臣の立場、塾経営者の立場としての自分の利害について鋭く考えがまわっています。こういった冷静な判断は器用でもあり、利害を超えた情熱を美談とする状況では、ずる賢くも思える行動なのだと思います。この点を端的に切り込んだ『学商福沢諭吉』の一節が紹介されています。
「強者に屈するを以て.....自ら智者なり先見者なりと信ず」。福沢諭吉の本質についてずばり論評したこの数行は、『学商福沢諭吉』一巻の中で最も精彩を放っている部分かも知れない。(p.220)
福沢は、自分の利害について鋭い感覚を持っているがために、強者にへつらう傾向があるという指摘です。たしかに一理あります。自分の利害に敏感になれば、その傾向は避けられないでしょう。日本の将来を考え、自分が死罪にならず、自分の能力を最大に活かす道を冷静に探し求めたとも言えるし、私利私欲を求め権力に迎合したとも言える、生き方なのかもしれません。

最後に、上に紹介した『唐人往来』のなかで福沢が開国への説得を試みているところが面白いです。
その内九十七人は睦まじく付き合い往来するところへ、三人は天から降りたるもののように気高く構え、別に仲間を結んで三人の他は一切交わりを絶ち分からぬ理屈を言いながら、自分たちの風に合わぬとて九十七人の者を畜生同様に取り扱わんとせば、それにて済むべきや。まず世の中の笑われ者になるべし。(p.182)
攘夷をしていると、日本は世界ののけ者にされるという説得です。世間ののけ者になることを何より恐れる日本人、とくに攘夷支持の爺婆を説得するのには、最も効果がありそうです。今も昔も日本人の特質として変わらないのでしょうか。

その頃の世の中には、日本以外の全ての国々で往来があった訳ではもちろんなく、また、それまで鎖国していた日本がのけ者にされても実害は少ないと言えたかも知れません。もちろん福沢もそのことを承知で、最も日本人に効果的な方法を用いて説得を試みたのでしょう。目的を達するには効果的ですが、当時の日本人の無知につけ込んだずる賢い説得と言えるかも知れません。
知られざる福沢諭吉 下級武士から成り上がった男 (平凡社新書)
礫川 全次 (著)

序章 福沢諭吉の知られざる一面
第1章 ペル氏築城書盗写事件
第2章 下級武士・福沢諭吉
第3章 苦学と逸話
第4章 慶応三年の謹慎事件
第5章 明治維新と慶応義塾
第6章 学商・福沢諭吉
第7章 商業立国とマンモニズム
第8章 脱亜の代償
終章 福沢諭吉論のために

近代日本をリードした啓蒙思想家であり、今でも「偉人」として評価される福沢諭吉。同時に、彼は拝金主義者、ほら吹き、変節漢といった人格的批判も多く受けた人物だった。下級武士から幕臣、啓蒙思想家へと異例の出世をした福沢の真の姿はいかなるものだったのか。福沢に対する人格的批判の当否を検証し、「成り上がり者」福沢諭吉の心性を探る。

4 comments:

花園 祐 さんのコメント...

 福沢についてはこれまで私もあまりその生涯について詳しく知りませんでしたが、幕末にこのようにうまく立ち回っていたとはちょっと驚きです。勝海舟といい、うまく立ち回ったのが生き残って、新撰組みたいに一直線な連中が榎本武揚を除いて消えていったというのは少し残念ですね。
 ちょっと今の時代と結びつけるのなら、福沢が明治に唱えたとされる脱亜論が、昨今の中国や韓国の報道を受けて現代においてまた強く出てきたことが印象的です。

Madeleine Sophie さんのコメント...

明治維新は全ての基準が変わった時代ですからね。上手く潮流を読んでのし上がったのは、ずるさと冷静さを持った人達だったかも知れませんね。やりすぎると死罪にされたり、暗殺されたりする時代ですからね。

脱亜論への批判が出て来た背景は、福沢諭吉の真実の方に詳しかったですよ。Wikipediaの脱亜論に、「昭和25年(1950年)以前に「脱亜論」に関するコメントは見つかっていない。」とあるように、1951年以後、多数引用されるようになった経緯があるそうです。

平山 洋 さんのコメント...

 『福沢諭吉の真実』の作者です。
 『知られざる福沢諭吉』につきましては、春秋子さんの書評ブログで反論しておきましたので、そちらをご覧ください(サイト「平山洋氏の仕事」から飛べます)。ここでは傍観者としての福沢に関し、新著『福澤諭吉』(ミネルヴァ書房)で明らかになったことを、かいつまんで述べます。
 すなわち、『知られざる…』の99頁の記述は、『福翁自伝』に由来しているのですが、その『自伝』にある、幕末に何もしなかった、という回想の信憑性がそもそも低いのです。
 というのも、関係者の同時代的記録が発見されて、当時の福沢が佐幕派の活動家であったことが、明らかになってしまったからです。つまり、福沢は、幕臣として、長州の尊皇攘夷派を弾圧する側にいたのですが、『自伝』の執筆時は、彼らが追及していた志士伊藤博文の内閣であったためか、そうした真相を伏せざるを得なかった、ということです。

Madeleine Sophie さんのコメント...

平山さん、コメントとリンクありがとうございます。

なるほど、『福翁自伝』の書かれた明治の状況では、幕府に忠誠を誓っている記述は書きにくいはずですよね。その点を見落としていました。福沢にとっては開国が信条で佐幕と倒幕はどちらでもよい方法だったのかも知れませんね。当初、佐幕開国を支持していたとしても、時勢が倒幕に傾くに連れて、倒幕でも開国という目的を達成できると考えたのかも知れませんね。目的を見失わない冷静な判断と柔軟な思考は見習っていきたいものです。

春秋子氏と平山氏の質疑応答から

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