2008年9月22日

[書評] 死の壁

死の壁 (新潮新書)フランスではイスラム教徒や、その他の宗教を持つ人々が混在しているので、いったいどれが正しいんだということを誰もが疑問に持つのかもしれません。日本では死んだらどうなるかと言うことを聞かれたことがあります。とくに輪廻転生の概念が衝撃だったようで、何度も聞かれました→「イスラム教のお話」。

その時とは別に、電車で隣になった人(イスラム教徒)が『La Mort(死)』という本を読んでいました。偶然、会話が始まり、火葬の話になりました。いわく、家族や長く親しんだ人が、灼熱の炎で焼かれるのは、本当につらいことだと言っていました。ネットで調べたところ、彼らにとっては身体を火で焼く行為は地獄の責苦を思い起こさせるそうです。イスラム教の信者の方は、死について非常に強く考えていると感じます。童話や物語ではなく死後の天国と地獄は実際に存在するものだと信じて疑わない人達は本当に真剣に議論します。本書でも軽く触れられていました。
人工妊娠中絶のほかにも、日本では何とも思われていないが、外国ではまずいということや、その逆のことはたくさんあります。死に関することでいえば、火葬もそうです。今時、日本で火葬を断固拒否するという人はあまりいません。しかし、イスラム教徒達は火葬に抵抗があるそうです。(P.107)
高校生の時の授業に「死への準備教育」 というものがありました。死について初めて真剣に考えた時間だった気がします。先生は最初の授業の時に、「人生80年として皆さんは高校卒業して大学を卒業したら60年で死にます」と言っていました。死を知ることは生を知ることと同じで、その期間に何をするべきなのかを考えると言う授業でした。その後の授業は、多くの人生の終幕について読んだり、より良く死ぬための施設であるホスピスについての知識を得たりしたことを覚えています。その時は、まだ遠い未来のように感じてあまり、親身に考えられませんでしたが、若いうちに何も考えないよりは有意義だったと感じます。

本書にはまったく同意できる文章と、僕にとって「???」な文章が隣同士にある箇所がありました。まず、
私は自殺したいと思ったことはありません。簡単にいえば、「どうせ死ぬんだからあわてるんじゃねえ」というのが私の結論です。(P.174)
どんなに死にたくなっても別に耐えなければならない時間はそんなに長くないはずです。自分と遺族の名誉を守る昔の切腹や、遺族への手厚い保護が約束される自爆テロなどの特殊な要因がない限り、これは納得です。しかし、続く文章は...
こう言うと、「どうせ死ぬんだから今死んでもいいじゃないか」というやつがいるかもしれませんが、それは論理として成立していない。なぜなら、それは「どうせ腹が減るから喰うのをやめよう」「どうせ汚れるから掃除しない」というのと同じことだからです。(P.175)
著者が論理として成立していないという「どうせ汚れるから掃除しない」と言うのは、横着な僕にとってはきわめて筋のよい理論に聞こえます。今日と明日掃除しなければいけないならば、どうせ汚れる今日は掃除をやめて、明日だけ掃除すればよいと思ってしまいます。この論理は、汚れの度合いが耐えられる範囲のものであるという条件があります。いくら僕でも、どうせ明日も尻が汚れるからと言って今日の大便で尻を拭かないことはあり得ません。きっと著者は汚れに対する耐性が低い、几帳面な方なのでしょう。
死の壁 (新潮新書)
養老 孟司 (著)

ガンやSARSで騒ぐことはない。そもそも人間の死亡率は100%なのだから——。誰もが必ず通る道でありながら、目をそむけてしまう「死」の問題。死の 恐怖といかに向きあうべきか。なぜ人を殺してはいけないのか。生と死の境目はどこにあるのか。イラク戦争と学園紛争の関連性とは。死にまつわるさまざまな テーマを通じて現代人が生きていくうえでの知恵を考える。『バカの壁』に続く養老孟司の新潮新書第二弾。

目次
序章 『バカの壁』の向こう側
どうすればいいんでしょうか
わからないから面白い
人生の最終解答
人が死なない団地
第一章 なぜ人を殺してはいけないのか
中国の有人宇宙船は快挙か
殺すのは簡単
あともどりできない
ブータンのお爺さん
二度と作れないもの
人間中心主義の危うさ
第二章 不死の病
不死身の人
魂の消滅
「俺は俺」の矛盾
「本当の自分」は無敵の論理
死ねない
死とウンコ
身体が消えた
裸の都市ギリシャ
死が身近だった中世
死の文化
葬式の人間模様
実感がない
宅間守の怖さ
派出所の不遜
ゲームの中の死体
第三章 生死の境目
生とは何か
診断書は無関係
境界はあいまい
生の定義
クエン酸回路
システムの連鎖
去年の「私」は別人
絶対死んでいる人
生きている骨
判定基準
誰が患者を殺したか
規定は不可能
第四章 死体の人称
死体とは何か
一人称の死体
二人称の死体
三人称の死体
モノではない
解剖が出来なくなった頃
第五章 死体は仲間はずれ
清めの塩の意味
なぜ戒名は必要か
人非人とは何者か
江戸の差別問題
この世はメンバーズクラブ
脱会の方法
「間引き」は入会審査
ベトちゃん、ドクちゃんが日本にいない理由
第六章 脳死と村八分
脳死という脱会
村八分は全員一致で
イラン人の火葬
靖国問題の根本
死刑という村八分
臓器移植法の不思議
「人は人」である
大学も村
ケネディは裏口入学か
第七章 テロ・戦争・大学紛争
戦争と原理主義
正義の押し付けがましさ
戦争で人減らし
学生運動は就職活動
反権力と反体制
敗軍の将の弁
軍国主義者は戦争を知らない
イラクの知人
国益とは何か
ものつくりという戦争
第八章 安楽死とエリート
安楽死は苦しい
エリートは加害者
産婆の背負う重荷
つきまとう重荷
エリートの消滅
銀の心臓ケース
解剖は誰がやったのか
天の道、人の道
ルールの明文化
人命尊重の範囲
役所の書類が多い理由
自分への恐怖
解剖教室の花
終章 死と人事異動
死の恐怖は存在しない
考えても無駄
老醜とは何か
悩むのは当たり前
慌てるな
父の死
挨拶が苦手な理由
死の効用
ただのオリンピック
生き残った者の課題
日々回復不能

2 comments:

匿名 さんのコメント...

私も最近この本を読みました。掃除の例え、わかりづらいですよね。

「家を買ったが、いつか壊れるから、使ってないけれど壊す。」など、ものにたとえたほうがわかりやすいと思いました。

ただ、あとがきのP190にありますが、この本は、著者がしゃべったことを新潮社の方が文章にまとめたものなので、口語では軽く流れて、あまり疑問に感じない部分がそのまま文章化されている箇所がしばしばあるように感じました。掃除の例えもそのひとつとすると、この本のそのような成り立ちをふまえ、あまり細かい部分にひっかからないで、著者の主張に耳を澄ますのがよいのかなと思いました。

Madeleine Sophie さんのコメント...

家の例えは分かりやすいのですね。「せっかく家を買ったから壊れるまで使い倒そう」となるわけですね。

掃除の例えは本気で理論として成立しない理由を悩んでしまいました...口語のまとめですからね、細かいところに引っかからない方が、いいですよね。

コメントを投稿