2008年9月7日

[書評] 夜這いの民俗学・夜這いの性愛論

夜這いの民俗学・夜這いの性愛論
夜這いについての赤松氏の解説本でした。
ざっと紹介したように夜這いは、戦前まで、一部では戦後しばらくまで、一般的に行われていた現実であり、実に多種多様な営みであったが、このような重要な民俗資料を、日本の民俗学者のほとんどは無視し続けて来た。(P.33)
日本の昔の性はもっとおおらかなものだったというような解説でした。

日本通のフランス人は日本の温泉で混浴のものがあることを知っていて、昔の日本は裸の男女が同時に風呂に入っても間違いが起こらなかったんだね、と言っていました。確かにそうだったのかも知れません。また、同じフランス人は、なのに今の日本には電車で痴漢の問題で男女別の車両があるなんて、すごい変わりようだね、とも言ってました。男女別の車両はなぜかフランス人に知られているらしく、何度か真実かどうか確かめられたことがありました。

ただ、本書は赤松氏の口伝えなので、真偽が定かでないような印象を受けました。資料や出典と言うのはまったくありません。性に関わる文化は隠されることが多く、外部のものが調査に行っても正しく答えを聞けない部分があるそうです。
私の報告を読んで調査に行った民俗学のバカモンが、あのへんでいろいろ調べたが、「そんなこと知りまへんという人ばっかりや。赤松め、ウソ書いている」と評判しているそうだが、これこそほんまのドアホだ。昔の村では、大字(おおあざ)やカイトですら、もう民俗、慣習が違うし、隣の村の人間でも警戒する。民俗学者などといえば、恐れおののいて「ハイ、さようでございます」というのにきまっているだろう。(P.122)
たしかに赤松氏の言うことは一理あります。普通は性に関することは他人には隠す人が多いでしょう。巻末に収録されている上野地鶴子(社会学者)の解説にも、同様の疑問が提示されていました。
民俗学は、人類学とならんで、しばしば「来た、見た、書いた」と言われるように、その場にいたものが勝ち、知らないものは口が挟めないという側面がある。(P.319)
赤松さんは「語り部」である、と書いた。語りは騙りでもある。こんな話なら、いっそ騙られてもかまわない、と思わせる魅力を、かれの語りは持っていた。(P.326)
こうなると、実際どうだったかということは、想像するしかない領域になってしまいます。本書には、下の書評にもある「柿の木問答」など面白いしきたりが紹介されています。現在の性に関するしきたりも絶対的なものではなく、100年もしない近年に作られたものであるということを想像するために、今とだいぶ違うおおらかな性の文化を知ることも面白いと思いました。
触発されて、もう一つ日本の民俗に関するエントリを書いてみました。
→『日本文化エロネタに対するフランス人の反応
夜這いの民俗学・夜這いの性愛論
赤松 啓介 (著)

『夜這いの民俗学』
  • (夜這いの民俗学
夜這いの性教育
(ムラの仲間組織
子供の遊びと性
現役兵としての仲間組織 ほか))

『夜這いの性愛論』
  • ムラの性愛論
(マツリとムラの性
農作業と性民俗
筆下し、水揚げ ほか)

  • マチの性愛論
(場末の性生活
マチの夜這い習俗
口入屋のしくみ ほか))

筆下し、水揚げ、若衆入り、夜這い…。ムラであれマチであれ、伝統的日本社会は性に対し実におおらかで、筒抜けで、公明正大であった。日本民俗学の父・柳 田国男は“常民の民俗学”を樹ち立てたが、赤松は、「性とやくざと天皇」を対象としない柳田を批判し、“非常民の民俗学”を構築し、柳田が切り捨ててきた 性民俗や性生活の実像を庶民のあいだに分け入り生き生きとした語り口調で記録した。『夜這いの民俗学』『夜這いの性愛論』の二冊を合本した本書は、性民俗 の偉大なフィールド・ワーカー赤松啓介のかけがえのない足跡を伝える。

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