2008年8月2日

フランスのエリートとグランゼコール


Paris, France
民主主義の二つの概念である自由平等について、考察すると日本の政策は自由寄り、フランスは平等寄りということが言えます。この辺のことは本ブログでオススメの書籍「[書評] 日本とフランス 二つの民主主義」にも書かれています。

また、民族間の平等についても、普遍的平等を実現するために、民族で区別しないアプローチを取って来たのが最近のフランスでした。この辺は「民族別統計禁止のフランスが変わる」でも紹介した通り、サルコジ大統領が誕生してから変わりつつあるとはいえ、まだまだアメリカのような民族間の積極的格差是正より、民族間の区別を扱わない普遍的平等が優勢だと言えます。

しかし一方、フランスにおけるエリートとそれ以外の区別は、日本以上です。平等を重視するフランスにおける矛盾のような気がしますが、これがフランスのやり方なのでしょう。「[書評] 知っていそうで知らないフランス」では、このような記述があります。
権利を主張し、ヴァカンスを心待ちにして気ままに暮らす庶民と、その庶民を一つの国民にまとめ上げるため、身を粉にして働くエリートたち。フランスではこうした構図がはっきりと見て取れる。政官財界や研究開発分野のトップを形成し、社会の牽引役を果たすエリートはきわめて少数であり、彼らの権限や特権はき わめて大きい...(略)...庶民は週末もなく働くエリートを見てあきれ顔で揶揄する一方、自分たちの生活を支える機関車としてのエリートが欠かせない 存在であることも認識しているのである。(P.32)
フランスではエリートと気ままに暮らす庶民という二つの生き方を選択可能にしていると言えます。庶民は最初からエリートと自らを比較したりしないのです。エリートとそれ以外の人々の二極化の最も大きな原因は、「フランスの教育」で取り上げたグランゼコールにあるといえるでしょう。とはいえ、問題はいろいろ指摘されています。同書では、以下のよう続いています。
最大の問題点は、「ひとの一生が十八歳から二十歳の時期に決まってしまうこと」だという。(P.40)
とはいえ、国民の間にエリートの存在そのものを否定するような意見は少なく、指摘される問題はエリートが必要な能力を欠いているのではないかという点に集中しているのだ。(P.47)
グランゼコールの問題点については、Webに美しい日本語を繰る在日フランス人によるものがありました(報道されないフランスの真実 (1)欧州に幻想抱く日本マスコミ−JanJanニュース)。「フランスは、必ずしもキラキラしている天国などではないということをみんなに分かってもらえればと思います。」と書いている通り、日本ではフランスの美しすぎるイメージが報道されているのは納得です。まず、フランスの教育の現状として、下のように述べられています。
1. フランスは、日本を超える学歴社会なのだ。それは「グランゼコール」という教育機関に象徴されている。大げさに言えば、高校卒業の直後から「くず」となる学生と「エリート」へ向かうグランゼコール予備軍への道が完全に分かれるのだ。
2. 徹底的に競争主義を採用しているグランゼコール(高等専門教育機関)という<勝ち組>と、ボロい施設ばかりの(特に文系)大学という<負け組>という図式からなっています。
グランゼコールの問題点として1. 大器晩成を認めない社会と2. 教育の不平等が指摘されています。たしかにグランゼコールは日本の教育には受け入れられにくいように感じます。本ブログの「日本の弱み:指揮官不在とフランスの強み」で述べたように日本のリーダー不足を解消するために、ただ単にフランスの教育をまねるだけでは難しいでしょう。

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