2008年6月17日

[書評] カルロス・ゴーンは日産をいかにして変えたか

カルロス・ゴーンは日産をいかにして変えたか (PHP文庫)
破綻寸前だった日産を蘇らせたフランス人経営者、カルロス・ゴーン氏のストー リーを知ることは3つの点で興味深いです。1つ目として、どのような原因によって日本の大企業がピンチに陥ったかを知るということ。次に、それがフランス人のリーダーによって立ち直ったという理由を知りたいということ。付け加えると、それは日本人自身の手でできなかったのかということ。最後に、技術者養成学校 出身のゴーン氏の経営手腕に対する興味です。僕自身、技術者/研究者を目指しているので、この点も興味を持っています。まず、彼自身の経歴を見てみます。
カルロス・ゴーン (Carlos Ghosn)プロフィール

1954年3月9日 ブラジル生まれ
1974年 (仏)国立理工科大学(Ecole Polytechnique)に入学
1978年 (仏)国立高等鉱業学校(Ecole des Mines de Paris)を卒業
1978年 ミシュラン入社
1981年 (仏)ル・ピュイ(Le Puy)工場長就任
1984−85年 土木建設、 農業機械用タイヤ研究開発部門統括
1985−89年 ブラジル・ミシュランの社長(ミシュランの南米事業全般を統括)
1989年 ミシュランの北米子会社の社長、CEO(最高経営責任者)に就任
1990年 北米ミシュランの会長、社長、CEOに就任
1996年10月 ルノーに入社
1996年12月 上級副社長(Executive Vice President)に就任
1999年 6月 日産自動車のCOO(最高執行責任者)に就任
2000年 6月 日産自動車の社長に就任
27歳で工場長!凄まじい出世ぶりです。彼の行った日産の改革は、wikipediaを始めいろいろなページにまとめられているので、本書を手に取る必要性は薄いかも知れません。ストーリー仕立てになっているところが、読みやすいので時間のあるときに手に取るぐらいで良いです。

日産のリバイバルプランを発表した後、彼はこう言ったそうです。
「経営陣が率先してその責任を担い、必達目標の達成について全面的な責任を負います。」(p.129)
そして、本書ではこう続きます。
これは美談ではない。日産の社員に対する恫喝である。目標が達成できないようなら経営陣みずから責任をとるという宣言は、その過程において、役に立たない管理職にも断固、責任を取ってもらいますよといっているに等しいからだ。(p.129)
日産に終身雇用されたと思っている社員にとっては死活問題だったでしょう。まさに死にものぐるいで仕事に取り組むことは、火を見るより明らかです。彼のことを迷惑がっていて、辞めさせたい管理職もいたかも知れませんが、管理職が仕事をしなければゴーン氏の辞職に至る前に管理職の首が飛ぶことが確実視されました。かなりの恐怖政治っぷりですが、効果的であることには疑問の余地がありません。

ただし、恐怖政治をして、工場閉鎖などの「コストカット」をするだけで、企業が蘇る訳ではありません。それだけで蘇るなら、山一証券や長銀などのように消えていった大企業はなかったでしょう。ゴーン氏は日産は早いうちに黒字化してボーナスを増額したり、日産の栄光の象徴であるZを新生したりして、社員の士気に配慮していたそうです。
...(略)...新型Zは、大もうけのできるクルマではない。だが、Zの復活は、日産社内の空気をかえた。ユーザー以前に、日産社員達の心が躍った。カルロス・ゴーンという経営者はこんなところにまで配慮している。夢がなければ構造改革はやりきれない。
カルロス・ゴーンは日産をいかにして変えたか (PHP文庫)
財部 誠一 (著)

第1章 ゴーン改革が始まった
座して死を待つことをしなかった日産
緻密に練り上げられた合理化政策 ほか
第2章 名門はなぜ凋落したか
「リバイバルプラン」の背景
生産優先のツケ ほか
第3章 「リバイバルプラン」—そして「再建」へ
解決策は常に社内にある
ブランド力不足の解消 ほか
第4章 「日産の選択」が投げかけるメッセージ
良いリストラ、悪いリストラ
企業経営は経営のプロにまかせるべき ほか
第5章 日産、かく変われり
見事に達成された三つの目標
コストカッターの真骨頂 ほか

2000年3月期、5900億円の連結赤字を計上した日産。ルノーからの資本注入がなければ、日産倒産は不可避だったろう。社長に就任した“コストカッ ター”ゴーンが発表した再建計画は凄みに満ちていた。そして2001年3月期、日産は連結決算で2823億円の経常利益を叩き出した。本書はゴーンが名門 復活にかけた情熱と闘いの記録である。

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